優しすぎる貴方は、甘美な毒の様。 離れる事ができぬと…きっと、ずっと前から分かっていた。 幸福論−5 少しだけ開いた障子の隙間から、眩しい日差しが差し込んだ。 寝返りを打って隣を見やれば、昨夜の来訪者が明けぬうちに去ったのだと知れた。 夜這いに来た割には優しいものであったが、久々の行為はそれなりに負担を残した様で、 身体を起こそうとすると、腰のだるさに苛まれた。 だが、それでも昨夜までの悶々とした思いは無く、幾分晴れやかな心地がする。 自分の中での『土方に対する想い』は固まらぬものの、やはり土方から離れられぬと気付き、 このまま彼と関係を続ける事には意味が無いと理解した… それが、こんなにも己の気持ちを変えるなんて。 (朝稽古が終わったら、声をかけておこう…) 何とか身を起こして着物を稽古着を纏いながら、そう決めた。 一刻も早く…今日のうちに、区切りをつけたかった。 そして、昼過ぎに総司が彼と連れ立って屯所を出るのを、土方は複雑な思いで眺めていた。 総司は自分の元に戻ってくるのだろう…それは確信に近い思いがあるのだが、 だからと言ってそれが、かつての様な形になるのかどうか、不安に揺れる。 お陽との一件は、遠い昔のこと― そう決め付けて総司の心の傷跡に触れぬようにしていたのが、逆に仇となったのかもしれない。 自分が傍にいる時に、しっかりと向かい合って克服しておくべきだったのかもしれない… その自責の念に土方は捕らわれていた。 (時間をかけて、解決していくしかねェか…) 土方は部屋に戻り、静かに煙管を燻らせた。 「沖田先生、覚えておいでですか?」 「え?何をです?」 「この料亭、先生と初めて出掛けた時に来たお店です」 嬉しそうに声を弾ませて両手を広げてみせる彼を見ながら、 確かにそうでしたね、と頷いて総司は腰を下ろした。 そういえば自分も、土方と出掛けた店や一緒に見たものはずっと覚えていたし、 それに対して土方も面倒くさそうにではあるが、そうだったな、と相槌を打ってくれていた。 恋い慕うということは、そういったところにも違いが出るのだろうか。 (ますます分からなくなってきたなぁ…) 考えれば考えるほど、答えを探すほどに遠ざかっていく様に思えた。 やがて食事を終えた頃、慣れぬ酒に酔いがまわったのか、総司は身体の変調に気付いた。 何となく頭がぼうっとして、視線が定まりにくくなっているのだ。 「沖田先生…?どうしたんですか?」 軽く頭を振りながら右手で額を押さえると、彼が心配そうに声を掛け、 総司は何でもありませんと言いながら笑顔を向けた。 が、すぐに視線を畳に落とす。 (想像以上に体調が悪いのかもしれない…) 総司がそんな事を思っていると、急にその視界が暗くなった。 何事かと視線を上げれば、彼がすぐ目前に立っていた。 「心配を掛けてしまって、すみません。本当に大丈夫ですから…」 普段からやけに心配性の彼のこと、自分の身を案じているのだろうと思った総司は笑顔で見上げるが、 そこにいたのは、そんな言葉が耳に届いていなさそうな様子の彼だった。 瞳は何かにとらわれているかの様に、うっとりとした色を見せている。 彼はその視線を総司に留めると、屈んで総司の頬にそっと触れた。 居心地の悪い視線を受けた総司は、身体を求められるものかと危惧し、その手を払い退ける。 「…何の真似ですか?」 「沖田先生…私と一緒に、死んでいただきたいのです」 その言葉に目を見開き「お断りします」と言いながら立ち上がったものの、 足元が覚束ず、総司はすぐに片膝を付いた。 それ程大量に酒を飲んだつもりは無いし、昨夜の一件があったにせよ、 これくらいの動作に響くほどに体力を消耗してはいない筈だ。 となれば… 「…毒を、盛ったんですか…」 総司の確信に満ちた声色に、彼は穏やかに笑んでみせた。 「はい。我が師からの重大な命なのです」 彼は、間者だったのだ。 よく考えれば、彼は剣術や柔術に関してはからっきしだったが、気配を殺す事が得意だった。 幾度か近付かれても気配を悟れぬ事があったのだが、その時はいつも土方の事で悩んでいる状態だったため、 自身の思考にふける余りに気付いていないのだと思い込んでいたのだ。 (私が区切りをつけるつもりが、彼もそう思っていたなんて…) 何という日なのだろう。 その巡り合わせには、驚きを超えて笑みさえ浮かぶ。 彼が懐から取り出したのは、本当に小さな小柄。 普段であれば何という事もない筈のその小さな刃物だが、 身体の自由の利かない総司の命を奪うには、十分すぎる。 「沖田先生…私があなたをお慕いしている事は、本当ですよ。最初は恨んでいましたが…」 「さい、しょ…は?」 「ええ。勿論、下調べをしてから潜り込みましたが、実際に会うと随分と違った印象を受けるものですね。 恨みの対象として先生に睨みを利かせていたつもりが…いつの間にか見惚れていたという様です」 (あぁ…きっとこの人は、恨みの感情がいつしか思慕へとすり替わってしまったんだ…) 「美しく気高く心優しいあなたを独りで死なせるなぞ、偲びありません…」 (自分の心がどこにあるのか、分からなくなってしまったのかもしれない…) 「だから、私もお供します」 そう言った彼は、怪しく笑んだ。 次第に身体の痺れが増し、毒のせいか、意識が遠ざかるのを感じる。 揺らいだ視界に、行灯の光を映した刃が閃く。 これで終わりか、そう思った瞬間、彼の背後に見えた襖が開かれた。 「総司!!」 最後に耳に飛び込んだのは…今一番聞きたかった、あの人の声だった。 |
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ありきたりパターンですが、どうでしょう…やっぱり、予想通りの展開ですか?ってか、文章まとまらない…苦笑 思ったより長くなりましたが、次回でラストです!もちょっとお付き合いお願いします☆(2006.5.25upload) |