その人が学校から与えられた部屋は、4階の隅っこにある。 階段を上がってすぐの所にあるその教科専門の部屋と準備室は、大抵は静まり返っているのだが、 今日は3階から4階へと続く階段にまで女生徒の甲高い声が響き渡っていた。 「ね、先生。それとぉ、ここも分からないんですけど〜」 「あ、私もそこが難しくって…」 「…これは授業中に言っただろ?教科書の38ページに書いてあるから、読んでおけよ」 それに混じって、うんざりした様なあの人の声も聞こえた。 教員の名は、土方歳三。 3年前に臨時職員としてこの高校へ勤め始め、昨年からは正式な化学の教員として働いている。 何にも怖じる事なく、型破りな方法で生徒に化学を教え込むスタイルの授業を行う彼は、 生徒や他の教員からの好き嫌いがかなり分かれており、彼に気を持っている生徒などは廊下でさえ絡みつく。 彼の元を訪れている女生徒も、恐らくはその類の思惑を抱いているのだろう。 総司が階段を上りきるとすぐに、その教員の横顔が目に入った。 しなやかな筋肉を纏ったその身を爽やかなストライプのシャツで包み、白衣を羽織ったその姿は、 端整な顔を更に引き立たせて、ここは本当に学校なのかと錯覚させる。 もう少し部屋に近付くと教員の向かいに腰掛けた2人の女生徒の姿が目に入り、ずきり、と心が痛んだ。 そのまま立ち尽くしていた総司の視線を気取ったのか、その教員は廊下を見やり、 総司と目が合うと口元で軽く笑ってみせた。 「―来たな。じゃあ、先約があるからお前らはここまでだ」 「え…じゃあ、一緒に…」 「元素記号くらい覚えてなきゃ、沖田と一緒には教えてやれねェよ」 「…は〜い」 爽やかに笑った彼の目が笑っていなかった事に、気付いたのだろうか。 彼女たちは大人しく引き下がったのだが、すれ違いざまに総司は軽く舌打ちをされた。 「沖田、どうした?早く入れよ」 総司がゆっくりと準備室へ踏み込んで腰掛けると、教員がドアを閉めた。 扉と桟の触れ合った音が、何故だか大きく聞こえる。 「先生…本当によかったんですか?僕なら待ってますから、ちゃんと質問に答えてあげてくださいね」 「何だ?随分と他人行儀じゃねェか」 「……」 そう告げて顔を覗き込んでくる教員から視線を外した総司は、言い様のない罪悪感に囚われていた。 実は、2人はこの春から恋人としての関係を始めたのだ。 まだ1年生だった総司は周囲からも慕われ、成績もよく、幸せな生活を送っている様に見え、 土方にとっては正直言って気に入らない存在だったのだが、 ある出来事で彼の意外な一面とその生い立ちを知って以来、気にかかる存在となったのだ。 補講と称して彼に近付けば、手に入れたいと思う様になるまで時間はかからなかった。 だが、男子生徒からも女生徒からも好かれている総司のこと、 これで後輩が入ってこようものなら、どんな邪魔が入るとも分からない。 そう思った土方は、4月の頭に半ば強引に彼を手に入れたのである。 ―これ程までに人気のある彼の隣に、男である自分がいる事。 ―教師という立場の彼と、その生徒である自分が恋愛関係にある事。 いつからか総司も同様に土方を求めていたものの、実際に叶ってからの不安は尽きなかった。 (本当に、こんな素敵で慕われている人と僕なんかが一緒にいて…いいのかな…) 思い悩む総司は俯いて、黙り込んだ。 「…お前、変な気を遣うなよ」 「え?」 向かいの椅子に腰掛けた総司に甘いコーヒーを渡しながら、土方は呟いた。 意図を測りかねた総司が問い返すが、土方がそれに答えることはなかった。 土方としては、教師と生徒という関係を隠さなければならないとは思っていない。 誰に知られても構わないし、それで免職となろうとも構わなかったのだ。 どんな場所でも堂々と隣に居て欲しいし、甘えてもらいたいのだが、意外に強情な総司は頑なな態度を崩そうとしない。 GWには2人で映画でも見に行こうと約束をしていたが、直前になって人目についてはまずいと 総司が言い出して譲らないため、2人で夜景を見にドライブをするだけで終わってしまったのだ。 土方は総司と一緒に暮らしたいと思っているのだが…果たされるのは、いつの日のことか。 「まぁいい…勉強するぞ。今日は実験をするから、教室に行っててくれるか?」 「あ、はい。分かりました」 突然投げかけられた言葉を呆けながらも受け取った総司は、ゆっくりと立ち上がった。 |
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この先が長い訳じゃないんですが、何となく切りました。中途半端ですみません…!(2006.5.27upload) |