霽月 -せいげつ- (壱)



「お断りしますっ!」
「総司…!!」

澄み切った空の下、美しい声と乱暴に障子を閉める音が響き渡った。
それは、その声の主らしからぬ、怒りとも焦りとも判別しがたい雰囲気を孕んでいて、
耳にした平隊士たちは何事かと自らの動きを止め、声のした方角へ視線を移した。

続いて聞こえてきたのは、早めの足音。
いつもよりも乱暴ではあるが、それでも彼の軽さを語るかのように、それほどの重みは感じられない。
早めの歩調で歩んでいた彼は素振りをしていた大勢の隊士たちの前に姿を現すと、
その不機嫌そうだった表情を一気に焦りに塗り替えて、慌てて笑顔で繕った。
「あ…す、すみません!お騒がせしてしまって…」

「大丈夫かぁ?」
隊士たちに稽古をつけていた永倉は、どうせいつもの痴話喧嘩だろうと決め付けて、
笑いながら声を掛ける。それが今の総司にはありがたかった。
「ええ。本当にすみませんでした。みなさん、続けて下さい」
漸くいつもの様な笑顔を繕うと、そそくさとその場を後にした。





そしてその頃、彼が啖呵を切って飛び出した局長室では、近藤が苦りきった顔をして、頭を抱えていた。

「トシ…まさか、あんなに怒るとは思わなかったよ…」
相当肩を落としてそう呟いた近藤に向かい合う土方は、煙管に火をつけると、それを吸いながら顔を上げた。
「まぁ、あいつはミツさんみたいに、家を継ぐための結婚も見てきているからな。
 ミツさんは運よくいい相手に出会えた訳だが…思いのない相手とは、婚儀などしたくはないのだろうな」

そう、今回珍しくも総司の反抗にあってしまった原因は、婚儀について話をした為である。
いつまでも決まった女を作ろうとしない総司に、何とか温かい家庭を育んでもらいたいという近藤の親心―
もとい、お節介の所為で、縁談が持ち上がってしまったのだ。
先方は、何かと近藤が世話になっている家の一人娘であり、無碍にすることもできない。

しかし、土方はまるで他人事のように言ったものの、自分とて同じだ。
どれほど家柄や身分が良かったとしても、恋しく思わぬ者の一生を預かるなど到底できはしない。
「行く気が無いんだ。断るしかないだろう」
「しかしなぁ、先方が乗り気なだけに、お断りできるかどうか…」
そんな土方の考えなど思いもよらぬ近藤は、再び頭を抱え込んだ。





「それで、飛び出してきたのか」
その言葉に総司が大きく頷くと、部屋で話を聞いていた斉藤は笑いを堪えきれずに少し吹き出した。
笑われた事に多少の苛立ちを覚えたらしい総司は、一気に言葉を連ねる。

「笑い事じゃありませんよ!近藤さんってば、私の意志も聞かずに勝手に決めようとして!
 明後日は久し振りに一緒に出掛ける約束してたんですけど、それが実は見合いだったって言うんですよ!?
 そんな大切な事なら、あらかじめ言ってくれればいいのに。騙すような誘い方して…」
見合いだと言えば頭ごなしに断るに決まっているというのに、どうしてこう都合の良い言い方をするのだろう、と
斉藤は内心で思いながらも、総司を宥めようと言葉を探す。

「局長とて、お前によかれと思ってのことだ。分かっているだろ?」
総司は相変わらず頬を膨らませたまま、不貞腐れた様に斉藤から視線をずらした。
勿論、総司は近藤の気持ちを分かってはいるが、だからと言って納得することもできないのだ。
「だからって、見合いの日取りまで勝手に決めてるなんて…
土方さん、何も言ってくれなかったし…」
一番はやはりそこなのだろう、と斉藤は考えを肯定付けた。
目の前の青年は、恋人である副長がその見合いに関して一切口出しをしなかった事が気に食わないのだろう。

(どうして、自分の恋敵を庇わなければならないのだろうな…)
胸には果たせぬと分かっている思いを抱き、それでも諦めきれずにいる自分に苦笑しながら、
斉藤は小さく溜め息をつくと、斜めの方向を向いたままの総司に言葉をかけた。
「いつまでも拗ねるな。副長は江戸に下っていたのだから、仕方が無い。
 それに、お前に全く責任が無い訳ではないだろう」
「え?」
自らの責任を問われた総司は、その意が分からずに顔を上げて問い返した。

「お前が普段、どれだけ意思表示をしていないか、ということだ。
 意思を伝えていれば、まさか勝手に縁談を組むなどしないだろうし、口出ししないということも無かろう」
「意思表示…」
総司はその言葉に驚いた様で、目を見開いて口内で復唱する。

目の前の思い人は、他人に2人の関係を気取られることをひどく恐れているため―
―と言いつつ、江戸の頃からの仲間には既に知れ渡っているのだが―
時折2人で出掛ける他は、人前での絡みが殆どない。
しかし、この様子では2人だけの時もあまり積極的では無いのかもしれない。
斉藤はそこまで考えると、とどめとばかりに告げた。
「誰でも、一生を預かるとなれば、不安を感じる時もあるだろうな…」





「そういえば、あれはいつだったかなぁ…」
「なにが」
近藤が局長室から天を見やって記憶を手繰り寄せる様に呟くと、土方は即座に聞き返した。
既に空は茜色に染まりつつあり、それを追って蒼い月が姿を現している。

「ほら、あいつが急に大人っぽく…と言うか、色っぽくなった時があったろ?
 女を抱いたのかと思っていたが…もしかして、その時に失敗をして女嫌いになったのだろうか?」
心底心配そうに自分に告げてくる幼馴染に、土方は思わず笑ってしまいそうになったのだが、
煙管を吸ってどうにか誤魔化してから、「どうだかな」とだけ返した。

それは彼が女を抱いたからではなく、自分に抱かれたからだと言えば、目の前の親友はどんな顔をするのだろうか。
いずれ知れる時が来るのかもしれないが、それが永久の誓いをたてる様な、
2人がゆるぎなく結ばれる時であればいいと思いながら、土方は今宵の月を見上げた。

―あの日も、空には美しい月が昇っていた。

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土沖の初夜話です。今作はオリジナルなので、ピスメとはキャラの性格が違います!…と言っても、大幅に違うのは斉藤さん位ですが。笑
(2006.1.19upload)