しあわせの草



「土方さーん!こっちこっち!これはー?」

向こうから、生い茂る草に埋もれた宗次郎の声が聞こえた。
それに応じて屈んでいた体を起こし、声のした方へ足を向けるが、
如何せん、周囲には俺の腰まである草が群がっている。
それよりも背丈の低いあいつを捜し出すのは困難を極める。

「おいチビ!どこだ!?」
堪らず声をかけると、草むらの中で束ねられた黒髪がぴょこぴょこ跳ねた。
草の根を折りながら彼の元へ向かう途中、一陣の冷たい風が容赦なく吹きすさぶ。
それに軽く身を震わせながら、どうしてこんな事になってしまったのかと、俺は溜め息をついたのだった。





―今から一刻程前。

いつも通り道場の縁側でうたた寝をしていた俺の所に、ざるを手にした宗次郎が現れた。
「今日も朝からお昼寝ですかぁ?」
「ん…?ああ…何だ、どうした?掃除は終わったのか?」
「ちょっと休憩」
そう言って、宗次郎は俺の近くに腰を下ろし、縁側から足をだらりと下げて遊ばせる。
『朝からお昼寝』という言葉を正すのも面倒だった俺は、頭を掻きながら体を起こし、その隣に胡坐をかいた。

一日の中で最も忙しい朝に声をかけてくるとは珍しいと思い、よく考えてみれば、
年末年始に暇をもらっていた下働きの女が戻ってきて、余裕ができたのだろうと思い至った。
「もう下女が戻ってきたのか?」
「はい。この間、みんなで餅つきしたでしょう?あの日から」
年が明けてから5日目の一昨日、試衛館では門弟と近所の人々と餅つきをしたのだ。

「あぁ、一昨日の…お前、楽しかったろ?」
「うん!僕、あんなに柔らかいお餅、初めて食べました!」
宗次郎は満面の笑みで答えた。

…尤も、そうでなければ困る。
それと言うのも、試衛館の跡取りである幼馴染が、餅つきをしたことが無いと言う宗次郎の笑顔を見たいが為に、
わざわざ日野の佐藤家から臼と杵を拝借し、ねちねちと小言を言うおかみを説き伏せて漸く行ったのだから。
宗次郎を前にした時の幼馴染は、その思考・表情共に、とても道場の跡取りとは思えぬ変貌を遂げるのだ。

そうして他愛も無い会話を重ねるが、宗次郎はいつまで経っても本題を口にしない。
手にしたざるに何らかの目的がある様で、ずっと膝上に持ったままなのだが。

「…で、そのざるは?」
仕方なく聞いてやると、あいつは気付いて欲しかった様で、嬉しそうに口を開いた。
「土方さんって、お薬作る時に草を使ってるんですよね?」
「あぁ」
それが一体どうしたのだろう。
俺は不思議に思って次の言葉を待ったのだが、恐らくはこの時、俺が寒空の下に赴くことが決まったに違いない。
「僕と、草摘みに行ってくれませんか?」
「は…?」





曰く、みんなには内緒で七草粥を作りたいらしい。
少しずつ勉強して上達しつつある料理の腕を披露すると共に、正月で疲れたみんなの胃を休めてやりたいそうだ。
その思いやりに感嘆した俺は宗次郎の頭を撫でながら、つい二つ返事を返し、郊外の平原にやって来たのである。

俺が宗次郎の所へ着くと、あいつは満面の笑みで見上げてきた。
―そう。結局のところ、俺も幼馴染と同様に、この笑顔に弱いのだ。

「ね、これは?七草ですか?」
あいつは右手に2本の草を握り締め、思いきり腕を伸ばして俺の前に見せた。
俺はそれを受け取り、1つずつ見ると、しゃがんで片方ずつ説明をした。
「こっちは、薺(なずな)。当たりだ」
「ほんとう!?」
「ああ。だがこっちのは、繁縷(はこべら)に似てるが違う。とんでもなく不味いから、間違っても摘むんじゃねーぞ」
「分かりました!」
俺が教えてやると、宗次郎は再びしゃがんで背を向けた。
この調子で、七草を全て集めるつもりなのだろうか。

俺は腕を組み、この一刻の道のりを夕食の支度が始まるまでに戻る為、効率よく収集する手立てを考え始めた。
はこべらとなずなは、ここで大量に手に入るだろう。
芹は、帰りがけに道端の田んぼで探すとして…清白(すずしろ)と菘(すずな)は、畑か市に行けば手に入るだろう。
後は…と考えたところで、俺はとんでもない事に気がついた。

「うおぉッ!!」
思わず目を見開いて声をあげた俺に、宗次郎が驚いて一瞬肩を震わせ、振り向いた。
「ど、どうしたんですか?」
「い、や…な、何でもない…」
俺はぎこちない笑みを宗次郎に向けながら、もっと必死に探せと手をひらひらさせて促し、
その視線から逃げるように背を向けた。

―七草の残りの二つが思い出せない…!

俺はこの事実に、愕然とした。
日野の家にいた頃も奉公に出ていた頃も、毎年と言っていいほど食べてきたのだ。
落ち着いてよく考えれば、それ位は思い出せるはずだと自分に言い聞かせてみるのだが、
その形状も名も、何となくと言うほどにも思い出せない。

もし自分を頼ってきたのが宗次郎でなければ、適当な事を言ってそこらにある草を七草と称してしまうところだが、
その草の所為で、宗次郎が大切に思っている人々が腹を壊す様なことがあれば、彼は自分を責めるに違いない。
そして、虚偽の発言をした自分は宗次郎からの信頼を失うことになるかもしれない。
数えで11歳になったばかりの少年に嫌われたところで、大した問題では無いようにも思うが…
それでも、折角得た信頼を失うのは自分にとっても宗次郎にとっても、決して良いことではないだろう。

―となれば、策は一つ。何とか時間をかけて、五種類しか集められぬ様にするしかない。
俺は誰にとも無く頷き、のんびりと作業を再開したのである。



そうして、昼には宗次郎が拵えてきた握り飯を二人で頬張りながら休憩をとり、
ようやく繁縷と薺を集めた頃には、太陽は冬独特の短い道のりを西へと急いでいた。
「宗次郎、そろそろ帰るか」
「え?まだまだ足りないよ?」
宗次郎はかねてから俺が用意していた台詞を言わせようとしたかの様に、まさに狙い通りの言葉を口にしてくれた。
それに対し、俺は申し訳なさそうな顔をして告げる。

「もっと探したいのはやまやまだが、畑や市で探すものもある。七草全部が揃わ―」
「あ、しろつめくさ!」
俺の言葉を遮断して、宗次郎は目を輝かせて叫びながら、少し向こうの何かに駆け寄った。
無視されたことに覚えた怒りを必死に堪えながら、
俺はしゃがんでいる宗次郎の後ろへと回り込み、その手元にあるものを覗き込んだ。

そこにあるのは、茎の短い、しなびた小さな緑の葉っぱ。
「何だ、それ」
俺が見覚えの無いその葉っぱについて問いかけると、宗次郎は一本を引き抜いて嬉しそうに振り向き、
それを俺に渡しながら、何か思い出す様に視線を明後日の方向にずらしながら言った。

「白詰草って言って、異国の人が持ち込んだ草らしいです。
 たまに4枚葉っぱがついてるものがあって、それを見つけると幸せになれるんですよ!」
「異国のものに、興味はねェよ」
「ね、ちょっとだけ探してもいいでしょ?」
またしても俺の発言を流した宗次郎は、言いながら背を向けて、必死に草と睨めっこし始めた。

どう考えても、それを見つけて幸せになれるなんて信じられないし、
万一それが本当であったとしたら、そんなものが今も残っているとは思えない。
それでも、西の空が染まり始めるまで宗次郎を待ったが、結局、目的のそれは見つからなかった様だ。

そんな落胆してしまっている宗次郎を連れて市へと向かい、
清白(すずしろ)と菘(すずな)を何故か俺の金で買ってやると、いくらか元気を取り戻した。
摘んだ草を俺が纏めて持っていると、自分も持つと煩く騒いできたので、宗次郎に1本の清白を抱えさせた。
極太のそれは通常のものとは比べものにならぬ大きさで、
必死に両手で抱き抱えた宗次郎の肩からは、その葉が後ろに伸びている。
後ろから見ると、歩く度に高く結われた髪と清白の葉が揺れて、どことなく愉快な雰囲気だ。

「重いだろ、返しな」
「いい。持ちます!」
「無理して疲れたら、作る気力無くなるぞ?」
それでも宗次郎は頭を振り、諾とは言わない。
どう見ても重そうであり、また周囲から自分を『優しさの欠片もない男』とみなす様な視線を感じるため、俺も必死だ。

「お前、そんなに清白が好きなのか?」
「え?土方さんもお好きじゃないですか、沢庵」
宗次郎の答えになっていない返事に俺は脱力する。
まぁ、確かに沢庵は好きだが…

「俺の事はいんだよ!…しかしまぁ、昔の人は上手い事を言ったもんだ…」
「なんのこと?」
「お前みたいな足のことを『大根足』って例えたんだ。知ってたか?
 清白に似ても似付かない足をした俺にゃ、清白は似合わねェ。大根足のお前が持つのが相応しい…」
俺が感慨深く頷きながらそう言ってやると、宗次郎は頬を膨らませて清白を突き返してきた。
笑いながらそれを受け取り、宗次郎の頭をぽんぽんと軽く叩いてやると、
俺の真意が伝わったのか単に機嫌を直したのか分からないが、笑顔で見上げてきた。
俺たちは談笑しながら帰りを急ぎ、最後に試衛館の近くにある畑で芹を摘んだ。



その夜、試衛館では宗次郎の集めた五種類の野菜を使った粥が振る舞われた。
勿論、作ったのは宗次郎だ。俺が味見をしたのだが、世辞では無く、うまい。

「おぉ、味付けも丁度いい!旨いぞ、宗次郎!」
「胃が休まるなぁ」
「おかわりは無いのか?」
「俺も、もっと食いたい!」
幼馴染を筆頭に、門弟たちが代わる代わる宗次郎に誉め言葉をかける。
それに笑顔で答えながら宗次郎は俺と視線を合わせて、得意気な表情をして見せた。

俺は、おかわりの要請に応じて行ったり来たり、忙しなくしている宗次郎をぼんやりと眺めているうちに、
今日という日をもっとあいつの心に残る日にしてやろう、と急に思い至った。
そして、みなの腹が落ち着いた頃を見計らって茶を注ごうと、宗次郎が席を立ったその時に、
用があるから日野に戻る、と幼馴染に告げてその場を後にした。



その夜更け、みなが寝静まった頃に宗次郎の部屋へと向かった。
冬の夜風に吹かれた俺の手はすっかり悴んでしまっていたが、どうにかあいつを起こさずに忍び込めた。
宗次郎の布団に近付き、月明かりに安らかな寝息をたてる寝顔を覗き込んでみると、頬には薄っすらと涙の跡が見えた。
涙の理由の分からぬ俺は、どうにも泣き虫なガキだと溜め息をつきながらも、愛しさに少し頬を緩めた。

それから、宗次郎の文机の上に小さく折りたたんだ半紙を置いてやった。
半紙の中には、俺が寒空の下で必死に探してきた、4枚の葉を持つ白詰草の葉。
―自分で見つけたかったのかもしれないが、恐らくは喜ぶだろう。
俺は振り返って宗次郎の寝顔を眺め、それを見た時の笑顔を思い浮かべると、静かに部屋を後にした。





翌日、日野の実家に帰った俺は、発句集に新たな句を書き加えた。

『春の草 五色までは おぼえけり』

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白詰草(クローバー)は、江戸時代にオランダから伝わったそうです。江戸末期に、クローバーがそこら辺に自生していたのか、
幸せの四葉のクローバーって話が既にあったのかは謎。と言うか、旧暦の1月7日に七草が揃えられたのか否か、それもよく分かりません…
ともあれ、翌朝の宗ちゃん、すっごい喜ぶだろうなぁ。笑顔 何故かすごい頑張った土方さんに拍手…!笑
(2006.1.6upload)