「ねぇ、幸せってどういうこと?」 浅く笑った彼女の目には、何も映ってはいなかった。 幸福論 元治元年七月の末、 沖田総司は床上げした自身の部屋を見渡した。 池田屋での騒動以来、起きては寝込むという定まらぬ体調の為に常に敷かれていたそれを退けると、 狭いと思っていた部屋も急に広くなった様に思う。同室の斉藤にはかなりの迷惑をかけてしまったものだ。 障子を開けて朝日の差し込む庭を臨めば、鳴く蝉の声が微かに聞こえる。 (もう大丈夫…) 蒸し暑さはあの日と変わらないが、自身の身体の軽さは比べるまでも無い。 かの日、自分からどす黒いものが流れ出た感覚は今も忘れられず 暗澹とした心地を蘇らせるが、恐らくは自分の中の毒を全て吐き出してくれたのだろう。 そんな事を考えながら深呼吸をしてみれば、 清々しい空気が体内に満ちるのを感じ、そのあまりの心地よさから瞳を閉じた。 それは空気の美味しさだけの所為ではない。 10日ほど前までは、体調の優れぬ日に深呼吸をしようものならば、必ず咳を伴っていた。 疎ましく思ってたそれが無いというだけで、総司の心は晴れやかなものだった。 「あ、沖田先生!お加減はよろしいので?」 廊下を歩いてきた2・3人の隊士の中から、そんな声がかかった。 「ええ。休んでばかりはいられませんから」 聞いた声だと思えば、それは島田魁であった。 軽く笑んでそう返せば、彼の後ろにいた2人が軽く会釈する。 「こちらが、一番隊の沖田先生だ。これは新入隊士の前田と金子です」 池田屋での活躍が労を効して、新選組は本格的に土方が望んだ方向へと歩みだした。 京に新選組の名を轟かせる…それは、彼にとってはまだまだ第一歩に過ぎないのだろうが、 件の武勇は京中に伝わり、身分を問わず受け入れるという新選組に入隊を希望する浪士が多く現れた。 その志ある者の中から、武術や学識など様々な視点から 長所を考慮して新しく隊士を迎えるようになり、新しい屯所を探すほどに人員も増えた。 それは近藤や土方の喜びであるから、総司も当然嬉しい事と受け止めてはいたのだが、 自分の臥せっている間に入隊した隊士などから一方的に知られる様になり、多少の居心地の悪さも感じていた。 「そうですか…気を抜かぬよう、頼みますよ」 そう言って一瞬視線を鋭くしてみせれば、2人は小さく呻いてそそくさとその場を立ち去った。 (これしきで怖気づくような人なんて、役に立つのかな) ふとそんな疑問を抱えてみると、それならば自分はどうなのだろうと思う。 蛤御門での一件が起こり、2・3日前まで新選組の隊士は殆どが天王山へと戦いに赴いていたが、 自分はその戦に合わせたかのように体調を崩し、寝込んでしまっていた。 (大事な時に寝込んでいた私も、似たようなものか…) 京の夏の厳しさは既に理解しているはずであるのに、管理の至らぬ自分― 情けなさに自嘲するように小さく笑うと、総司は障子を閉め、袴を身に着けて部屋を出る。 ―それでも、自分の居場所はここだ。それだけは確信があった。 |
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2006年土沖追悼小説…になる予定のお話です。なので、5月30日までに完成させるのを目標にしています。 土沖と言いつつも、いつもの様に幸せな2人にはならない予定です。苦手な方は、ご注意ください。(2006.4.5upload) |