夢幻の記憶 |
*『胡蝶の名残』の続編になります。
土方さんの死にネタが絡みますので、大丈夫な方のみスクロール↓↓
「明日が…総攻撃、ですか…」 既に官軍が手筈を整えているとの情報は入っていた。 戦う場を求めてこの北端の地までやって来た俺には、戦い続ける他に何の思いも無かったが、 今夜こそが函館政権の最後になるだろうと、他の誰もがそう考え、別れの杯を交わしているらしかった。 だからこそ、俺はこの夜に箱館病院まで足を運んだ。 別れの為だとか、そんなつもりは一切ない。 ただ、俺と同じ思いを抱えて戦い続ける人物は、こいつと弁天台場の新選組隊士しか思い至らなかった。 「ああ。そうらしいな」 俺は言いながら、声の主へ向き直った。 月明かりに照らされた布団に横たわるのは、江戸の頃からの馴染みだ。 「おいらも…行きてぇ、が……しょうも、ねぇ…や…」 苦しそうな声で、それでも強がって笑んでみせる伊庭八郎を見て、俺も不敵に笑んだ。 先日の戦で銃を受けたこいつには、もう治る見込みが無いということだったのだが、 これまでに盟友の死を見届けてきた俺にとって、既に死という概念は希薄になっているらしく、 それを聞いた時も、実際に伊庭を前にしても、大して何とも思わなかった。 …残喘とした様子を見せながらも、強気な光を宿したこいつの瞳の所為なのかもしれない。 コツ コツ と板張りの床を鳴らし、俺は大きな窓へと近付いた。 煌々と輝く月は、いつか見た月に似ている気がする…あれは、いつの事だったろう。 「…脇差は、…」 月を眺める俺の背に、伊庭の声がかかる。 脇差の赤い紐が、黒になっていることに気付いたらしい。 「あぁ、日野に持って行かせた」 振り返らぬままそう告げると、俺は窓を開いた。 途端、緩やかに風が吹き込む。 真っ暗な中、遠くに揺れる微かな灯を見つめた。 …託した物と生かすべき人物は、もう既にこの地を離れて海原を進んでいる頃だろう。 2人とも言葉を発さぬまま、ただ静かに胸元の懐中時計だけが時を刻んでゆく。 その時、ひらりと何かが舞った。 …いつかの蝶々だ。 「…総司…」 「?」 俺が驚きと懐郷の様なものを感じながら、そう呟くと、背後から物音がする。 振り返れば、伊庭が苦しげに呼吸しながら訝しげな表情で俺を見やっていた。 「伊庭。蝶が…見えるだろ?」 「…どこ、に…」 俺がその姿を指で追ってみせるが、なかなか伊庭の目にはとまらないらしく、いつまでも胡乱な表情のままだ。 目までやられてしまったのかと、俺が月が綺麗だと話を振ってみると、 美しく輝く月とそれに付き従う雲について、かつての饒舌さを偲ばせる調子で語った。 伊庭の目に異常がないという事は― まさか、蝶となった総司の姿は俺の目にしか映らないのだろうか… 「伊庭…総司が、会いに来てくれたぞ」 やはり訝しげなままの伊庭は不思議そうな表情を俺に返し、俺はそれに軽く笑んだ。 しばし窓の外を漂っていた蝶は、やがて室内へとその身を移した。 蝶が散らす光の残滓は、あいつの優しさをそのまま形に表した様で…やはり美しかった。 俺が室内に体を向けなおして、視線であいつの姿を追っていると、 伊庭も見えないながらに納得したのか、ふっと軽く溜め息をついた。 「…おいら、の…迎え、ですか…ね…」 俺には申し訳ないが、といった風に言ってみせる伊庭に、 総司がお前なんかの迎えに来るものか、と笑いながら返してやる。 そして視線を蝶に移せば、その言葉に怯えたかの様に俺たちから遠ざかり、 窓の外へと身を出すところであった。 (本当に、迎えに来たのかもしれねェな…) それは、伊庭の迎えなのだろうか…俺は思わず、総司の懐刀に触れた。 夜明け直前に五稜郭本陣へと戻った俺は、耳障りな大砲の音で目を覚まし、部屋を飛び出した。 箱館政権の重役が数人集まる中、薄っすら明るんだ岬の方から立ち上る黒煙を見つめていると、 ややたってから息を切らせた兵が報告に現れた。 「新選組と箱館鎮撫隊は、弁天台場に入り応戦中とのこと…!」 「「何だと!?」」 入った報告に思わず張り上げた声は、榎本さんのそれと重なった。 「どういうことだ!説明しろ!」 「はっ、はい!敵軍は箱館山の裏手から回り込み、麓の部隊を急襲した模様で…!」 まさか、活用したつもりのあの自然の要塞を逆に使われるとは… 俺は読みが浅かった事に苛立ち、舌打ちをした。 弁天台場と言えば、箱館の端だ。 箱館山と海上からの攻撃で既に挟み撃ち状態にあり、制圧されつつある市内を奪還しなければ、 完全に孤立無援の篭城戦になってしまうのは時間の問題だ。 俺は今更になって、最も信頼する奴らを全てそこに配置してしまった事に後悔を覚える。 「榎本総督、俺は弁天台場に向かう」 有無を言わさぬ口調でそう隣の榎本さんに声を掛ければ、彼も神妙な面持ちで頷き、 俺は榎本さんの肩に軽く手を置くと、すぐさま踵を返した。 「額兵隊、伝習隊、見国隊、神木隊…他にも動けるやつらは俺に続け!!弁天台場まで活路を切り開く!!」 怒鳴りながら俺は急いで外へと向かい、ここで一番の駿馬である愛馬に跨った。 後に続くのは、腹を決めたらしい、覇気に満ちた各隊員たち。 ふと見た頭数からして全員が従った訳ではなさそうだが、それは好都合というものだ。 戦う意思の無い役立たずは、必要ない。 (…もし、ここにいるのがあいつらだったなら…) ふと、柄にも無く、京都に居た頃を思い出した。 目を閉じてみれば、懐かしい面々の姿が鮮明に蘇る。 俺と親友の作り上げた、他の追従を許さぬ最強の剣客集団… 厚い信頼で繋がった試衛館のあいつらさえいれば、出来ない事など無かった。 …今もその志を継ぐ者たちが、弁天台場にいるのだ。 何としても、助け出して―否、共に戦い抜いてみせる。 箱館市中を目前にした一本木関門付近まで来ると、俺は殿としてその場に留まった。 前方からも後方からも押し寄せる敵兵を斬り付け、時に馬上から薙ぎ倒したりして、 敵軍の頭数に怯えて退陣しようする奴等を叱咤した。 何かに取り付かれたかの様に、俺はひたすら怒鳴り散らし、剣を振るった。 やがて奮闘の甲斐あって情勢を盛り返し、ここからが勝負だという正念場に至り、 俺も馬に跨って一本木関門より進軍しようと、刀を抜いた― ―その時、一発の銃声が鳴り響いた。 何事かと音のする方を見れば、足を震わせてその場に座りこんだ敵兵の姿。 そいつの持つ煙をたたせた銃口は、俺の方に向けられている。 途端に激しい眩暈を覚えた俺は、撃たれたのだと悟り、少しずつ体から力が抜けるような感覚を覚える。 馬から振り落とされる瞬間、その男に向かって手綱を操ると、 自身が地面に叩きつけられるのと時を同じくして、俺の放った愛馬に蹴られた敵兵の叫び声が聞こえた。 仰向けに落ちた俺は、少し霞んだ青空を見上げる。 散っていった者たちの為にも、命ある限り戦い続ける…俺は、その誓いを果たせたのだろうか。 あいつの分まで、最期まで戦い抜くという約束を守ることが出来たのだろうか。 自分に問いかけながら目を閉じれば、懐かしい記憶―走馬燈が、駆け巡った。 多摩での幼い日の記憶、試衛館での日々、京で過ごした4年間、流山から箱館までの転戦… 全てが本当に短い間の出来事だった様に…まるで夢であったかの様に思える。 そんな中、最後に浮かんだのは、あいつの姿だった。 (もう一度、会いたい) そう思って重い瞼を開けば、目の前を黒い蝶が舞っていた。 (お前は、俺を迎えに来てくれたのか…) 俺は、光の粒子を散らすその蝶に震える手を差し伸べた。 ―美しすぎる、地獄からの使者に。 「…そ、う……」 伸ばした手に、蝶が触れたか否かというところで、視界が白に染まる。 あいつの声が遠く聞こえ、懐かしいあの場所へ漸く帰れる…そんな気がして… ―――俺の記憶は、途絶えた。 |
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色々と調査不足なので、間違いをご指摘いただけるとありがたいです。CPというより、ちょっと兄弟的な土沖をイメージしてみました。 何だか、中途半端なまとめ具合になっちゃいました。笑 友情出演させてみた伊庭さんがお好きな方、いきなり死に際ですみません…!(TдT) そんな訳で、愛里なりに土方歳三さんのご冥福をお祈り致します。リク下さった方、ありがとうございました☆ (2006.5.11upload) |