「そういえば…その時に、猫の首に腰帯を巻きましたよね。約束の印、とか言って」 「ガキの考えるこたぁ分からんな」 「全くです」 げんなりした様子の土方に、事後の余韻に浸っていた総司がくすくすと笑う。 「お前のしたことだろ!」 「でも歳三さんは、その分からんガキの為に戻ってきてくれたんですよね?優しいなぁ」 「…う、うるせェな!…お前のそういう可愛くねぇところは、一生変わらないだろうよ」 巧みに話を逸らせた総司にうろたえながら少し頬を染め、 不機嫌そうに眉間に皺を寄せる想い人の腕の中で、堪えきれずに総司は吹きだした。 野芳―5 それから、数年の歳月が流れた。 試衛館道場は近藤勇の尽力により、繁栄…とまではいかないまでも、 多摩の農民たちから篤い信頼を受け、その存在を確かなものへと変えつつあった。 食客たちも門下生とすっかり馴染み、他流派との戦い方を教えたり、彼らなりの形でそれに貢献していた。 そんな試衛館に浪士組結成の一報がもたらされたのは、まさに僥倖であった。 誰が参加するだの江戸に残すだの、大分騒いでいたのだが、 最終的に試衛館からは8名が京へと出立することとなった。 日野の道場にしばしの暇を伝えるべくしたためられた書状の中には、 いつしか想いを通わせ、共に隣り合って過ごす時間を重ねていた歳三と総司の名もあった。 出発が3日後に迫ったこの日、2人は神田まで足を運び、共通に見知った知人に別れを告げた。 屋敷を出たきり口をつぐんでいた歳三が空を見上げて呟いたのは、しばらく歩いてからのこと。 「なぁ…明日、あそこへ行ってみるか…」 「あそこって…あの、有名なお団子屋さんですか?嬉しいなぁ。よく噂は聞きますけど、 まだ食べた事がなくて。あ、うーん…でも、私はそれよりも、くずきりが食べたいかなぁ。 京は黒蜜で食べるそうですからね、歳三さんと一緒になんて食べられたもんじゃありませんよ」 己の意が伝わらなかった事に小さく溜め息をつきながら、自分に都合のよいことばかり口早に告げる総司を一瞥すると、 斜め後ろを歩く総司はからかう様な笑みを浮かべて、小首を傾げていた。 これは、思い当たるものがある時の顔だ。 歳三は総司の少し後ろに転がっていた丸太に腰を下ろし、 近くに生えていた雑草を1本引き抜くと、指で回して遊ぶ。 それから、曖昧な表情で己を見下ろしている総司に、 思うものは相違あるまいと思いつつも短く確認するように返した。 「莫迦、あの長屋だよ」 「どうして、」 どうやら総司には、何故歳三がその場所へ行こうと言うのか、理由が分からなかったらしい。 いや、ある程度の推測は出来ているが、その真意は本人から聞きたいと言ったところかもしれない。 抑揚を欠いた声色からは、若干の戸惑いが感じられた。 しばらく歳三が黙っていると、総司は澄んだ声で改めて問い返した。 「武士になるって、本気で決めた場所だから?」 「…それもあるがな」 軽く相槌を打った。だが、それが本意ではない。 あの時、あの長屋から、歳三は宗次郎を意識し始めた。 己の抱く想いの名すら知らぬ宗次郎に、知らぬ間に惚れていた事に気付いただけでなく、 互いを確かな個人として意識し始めた―言わば、『始まりの場所』だ。 「あの時から、俺はお前をきちんと認められる様にもなった」 歳三は、手元にあった視線を総司へと移した。 総司の背負った太陽が空を染めながら眩しく輝いている。 少し目を細めながら見つめたその瞳も、同じ輝きを持っている。 何にも侵されることのない、全てを許容するような眼差し。 ―これに、心を奪われたのだ。 「じきに江戸を発つ俺たちは、また新しい出発をする訳だ。今度は、もっとでかい旅立ちだ。 だから…まぁ、初心に帰るつもりでだな…『始まりの場所』へ、お前と行っておきたいと思った」 道を誤らぬ様に。 二度と総司をを悲しませることの無い様に。 一瞬、呆けたような表情をしていた総司は、すぐに慈しむように目を細めて笑った。 「…じゃあやっぱり、甘味処にも寄ってもらおうっと」 「…好きにしろ」 照れ隠しであろうか、小さく鼻で笑った歳三は視線を落として立ち上がり、再び歩きだした。 それに半歩遅れて従った総司の2人がつくる影法師は、夕暮れの道に長く長く伸びていた。 記憶を辿っていた総司は、同じ布団に寝転んで黙していた土方に語り掛ける。 「…あなたは、これからも真っ直ぐに突き進んで下さいね?」 「言われるまでもねェ」 総司は不適な笑みを浮かべた土方に頬笑むと、その首筋を強く吸い上げた。 面食らった様子の土方に印した跡を、指でゆっくりとなぞる。 「私はずっと、追い掛けて行きますから…」 寄り道をしながら創り上げてきたこの道は、確かにあの場所から同じ時間を流れて、ここまで繋がっているのだ。 これからもきっと、土方は思うままに道を切り開いていくのだろう。 自分は、時には彼の行く手を阻むものを払い除けながら、 時には重圧を背負った彼の心を安めながら、その背を追っていけばいい… そんな事を考えていた総司は突然抱き寄せられ、顔を土方の胸元に埋めた。 そしてそのまま、きつく、きつく抱き締められる。 「莫迦…お前は、隣で歩くんだ」 そんな事も分からなかったのか、と囁く土方の腕の中で 総司は幸せそうに口元を綻ばせて目を瞑り、そうでした、とだけ呟いた。 あなたの隣は、暖かいから。 沢山の優しさを、あなたにあげたいから。 ずっと歩んでいこうと決めたんだ―――ひだまりみたいな、この場所で。 |
長屋企画・愛里版『野芳』、これにて完結です!とりあえず、ちょっと反抗期な宗次郎が書きたかったんです。あと、ちょっと強気な総司とか。 当初の予定とは大幅に異なり…本当は土沖で誘い受けとかのつもりだったんですけど、気付いたら『歳宗青春日記』になっとりました…!(がーん) めちゃアバウトに考えて思いつくままに書いてしまったので、途中とか結構面倒でした。笑 やっぱ、ちゃんと計画しないと纏まらないなぁ… きっとこの2人は、お互いに対して憧れを抱いていると思うんですよね〜。お互いが「こいつは太陽だ」みたいな事を考えていると思います。笑 野芳は「野原に咲く、よい香りの花」という意味。昔から雰囲気が好きで気に入ってた熟語なんですが…日常生活での需要はゼロ。苦笑 今回初めて使えました!嬉しいな♪笑 それでは、最後まで読んでくださってありがとうございました〜vv (2006.6.24-9.10up) |