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「…一体、どこまで行くつもりです?」

用向きも告げられず、土方に促されるままに歩いてきた総司は、
いい加減にしてくれと言わんばかりに呼びかけた。

「ねぇ、聞いてます?」
幾度も問い掛けるが、返されるのは決まって「じきに着く」のただ一言で。
頬を膨らませて閉口した総司にまともな応えが返されるのは、そのしばらく後の事だった。







土方はある場所で足を止めると、少し離れてゆっくりと付いて来ていた総司を振り返った。
そっぽを向いている彼が不満そうに唇を尖らせているのが分かり、一瞬頬を緩めるものの、
人の目のある所で優しく呼びかけるなど、土方には出来よう筈もない。
いつも通り眉間に軽く皺を寄せて、不機嫌そうに声をかけた。

「おい、何を膨れてやがる。ここだ」
駆け回る子供たちを視線で追っていた総司にそう言いながら、
土方は何となく埃でも立ちそうな気のする、設えの悪い戸を開けた。
総司が耳障りな音に視線を移せばそこには長屋があり、土方は既にその一室へと踏み込んでいる。

「早く入れよ」
一体何事だろう、と訝しげな表情で立ち尽くしている彼に、既に草履を脱いだ土方から声がかかった。
短く言い放った土方に途惑いながらも部屋へと入った総司は、できる限りあの不快な音を立てぬ様に戸を閉めた。





「なかなか、いい場所だろ?」
「ここが…?」
応えながら、下駄を脱いだ総司が土方の向かいに腰を下ろす。

本当に小さなかまどのある土間と、薄っぺらい畳の敷かれた四畳半ほどの広さしかない狭い長屋。
部屋の中に僅かに置かれた物と言えば、布団と煙草盆だけだ。
幼い頃から貧しい暮らしをしてきた総司にも『いい場所』とは言い難いこの場所を、何故土方はそう称するのだろう…
そう考えた時、総司の頭の中で1つの事情が浮かび上がり、声をひそめて問い掛けた。

「…何人ほど、潜んでいるのですか?」
「―――は?」
「始末する相手の数です」

狭く、お世辞にも綺麗とは言えない長屋を『いい場所』と称するのは恐らく、
この長屋かこの付近に潜伏している不逞浪士を『見張る』もしくは『始末する』のに都合がいい、という意味だろう。

普段であれば、内密に事を進める場合にも何かしらの符丁を示されるというのに、今回は何も聞いてはいない…
符丁が無かったのは恐らく不特定多数を相手にするということで、
その相手とは直前まで―場合によっては、始末するまで―
己にも言えないほどに、警戒が必要な者なのだろう…と、総司は踏んだのだ。



その指摘に表情を引き締めた土方を見て、総司はやはりと思いながら唾を飲み込んだ。
これ程までに内密に動くということは、こちらの重要な何かを握られているのかもしれない…

真剣な眼差しで土方を見つめていた総司は、やがて少し俯いた彼の肩が小刻みに震えている事に気付く。
笑いを堪えていた土方は耐えかね、喉を鳴らして笑ってみせた。
「…浪士なんざいねェよ。ここは、お前の為に借りたんだ」
「は?私の為…?」

もしや、近頃の忙しさからか、崩れがちになっている体調を悟られていたのだろうか…
そう思った総司は怒りを覚えるよりも先に疑問と不安を抱えてすぐに俯き、どうにか表情を繕ってから顔を上げる。
だが、土方の視線は手元の煙管へ向けられており、その表情にも険しさは一切見受けられない。
どうやら不安は杞憂に終わったらしく、総司はほっと一息ついた。



土方は煙管を燻らせると、総司へと視線を戻す。
「あぁ…こういう場所がある方が、都合がよかろうと思ってな」
「…どうして?」
「屯所じゃ狭いだろ」
「西本願寺に引っ越したばかりなのに…?」

あの広大な敷地を持つ寺を狭いと呼んでは、この長屋は狭いどころの話ではないだろう。
一向に意図の掴めない総司は、ただ黙り込む。
土方は、仕方のない奴だ、とでも言うように表情を和らげ、心なしか声を低くして告げた。

「あそこじゃ、隣が気になって思いきり啼けないだろ?ここなら構わねェ」

そこまで言われて漸く合点の行った総司は、
理解するや否や耳まで染め上げて、急に居心地悪そうに部屋の中を見回した。
とは言っても、見回す程の何かがある訳では無い。すぐに視線を手元に落とすことになった。





発する言葉を選ぶうちにある出来事を思い出した総司は、少し悪戯な表情で彼に話しかけた。
「…長屋って、江戸にいた頃の、あの事を思い出しますね」
恐らく土方はすぐに『その出来事』に思い至ったのだろう、軽く頭を掻いて煙管を吸う。
その動作が土方なりの照れ隠しだと知る総司は、微笑ましく思い、小さく笑んだ。

「…俺ァそれよりも、煩えガキにされた悪戯の方が忘れられねぇよ」
「それは、あなたが悪い」

総司にも確かに、ちょっとした悪戯を繰り返した覚えがある。
理由など覚えていないし、恐らくはささやかな事であったと思うが、
全て土方の行動や言動にに不満を抱いてのものだった筈だ。
それは、悪戯の対象が土方に限られていた事からもうかがえる事実だった。



「あぁ、そうか。お前が口煩いのは、昔からだったな」

いつの間にか煙管を置いた土方は、言いながら総司を押し倒し、首筋に顔を埋める。
無遠慮に衿から入る手は肌を撫でつけながら、そこにある小さな突起を探り当てた。

「相変わらず手が早い人には、言われたくないなぁ…」

どうしてこんな場所で剥かれなくてはならないのだろう…
何もかも相手の都合で何となく悔しい気もするが、屯所の引越しや仕事の忙しさから
近頃はすれ違ってばかりでいたため、久々に触れたいのは自分も同じで。
脱がされる一方では癪だから、総司も衿から手を差し入れて土方の素肌に触れた。

「…随分と積極的だな」
「昔と同じ事もあれば、違う事だってあるんですよ?」
少し驚いた表情で総司の顔を覗くと、彼は目を細めて誘うように笑んでいる。
何時の間に、こんな表情が出来るようになっていたのだろう…

土方は不敵な笑みを浮かべて一息つき、彼の耳に言葉を流し込んだ。
「ならば、今宵は昔語りでもしながら堪能させてもらおうか…」

「いいけど、土方さんの自慢話は御免ですからね」
そう言うと、顔を見合わせて小さく笑いあった。