今宵、見上げる空には雲ひとつなく。 迷いを断ち切った筈のあの日も、空には綺麗な月があった。 宵居 その夜、幾度目かの寝返りを打ったその影は、 少し乱れた髪を撫で付けるように右手を沿わせ、敷布の上へ胡坐をかいた。 すぐ傍の障子越しの明るさに気を取られ、少し開けてみれば、冬らしい冷気と共に月明かりが射し込んだ。 冷えきった澄んだ空気を吸いながら、星に飾られた舞台の主役を見上げる。 今宵の月は、殊に美しい。 欠けるところ無く、静かに闇夜を照らしている。 これほどの月であれば、こんな夜半に目覚めた言い訳になるだろうか。 (こりゃあ、一句、上等なのが詠めそうだ…) そう思った男が片方だけ立てた膝に頬杖をつくと、背後から小さな物音がした。 己の立てる音を殺してみれば、衣が擦れる音を追うように「うぅん…」と喉を鳴らした様な声が漏れる。 随分と可愛らしいそれに笑いそうになるのを堪えて、歳三はゆっくりと振り返った。 先ほどまで己が被っていたのと同じ布団の中から、目元を左腕で覆った頭がのぞいている。 土方は低いがよく通る声で、話すともなく呟いた。 「…起こしたか」 「んー……」 その言葉にどこか甘えるような声を出しながら、総司は転がってうつ伏せに体勢を変える。 「…どうか、なさったんですか…?」 目を擦りながら枕に預けていた頭を起こし、若干舌足らずに言葉を紡ぐ様は、 まだ歳三の半分程の背丈しかなかった頃と大差ない。 「いや……夜明けは遠い、もう一眠りしろ」 総司の様からいつまで経っても子供な奴だ、と思いもするのだが、 夜中に起きた彼を眠らせようとする歳三の物言いこそ、昔から変わらぬままだ。 そんな己にふと気がつくと、喉の奥で軽く笑った。 彼がまだ宗次郎だった頃、一人寝の寂しさからか、歳三の布団に潜り込む事が度々あった。 その頻度は試衛館に馴染むに反比例して減ってゆき、元服してからは滅多になくなっていたのだが、 ここにきて ―とりわけ、このひと月程は― 3日と空けずに来る様になった。 誰もがその話題を避けて口にせずにいるが、近藤を始めとした試衛館一同が 総司を京へ連れて行かないつもりでいる事を、この男なりに敏感に感じ取っているのかもしれない。 歳三の部屋に来た総司は、子供の時分と同様にそれはもう穏やかな顔で爆睡する。 (だが…考えてみれば、最近こいつは大人ぶって意地を張ってばかりだな…) いつまでも子供のままではいられないということを、流石の総司も分かってはいるのだろう。 それとも、京へ共に行くための布石のつもりか。 そんな中でも無防備な姿を見せるこの男は、今でも変わらずに己を兄として慕ってくれているのだろう… そう思うと、歳三とて嬉しくない筈はない。思わず口元を緩めた。 「ねふれはひんへひはら…一緒に、起きてますよ」 そんな歳三の気持ちを知ってか知らずか、 欠伸を噛み殺そうとあがきながら結局は防げずに、総司はへろへろと訳の分からぬ言葉を紡いだ。 その中で最後の言葉だけ拾った歳三は、純粋に親切のつもりであろうその言葉に苦笑する。 ――眠れぬのは、その彼の所為だと言うに。 「綺麗な月ですねー」 傍らに寝転がって両手で頬杖をついた総司に、歳三は頷き返す。 「これを見てたなら、早く教えてくれればよかったのに」 「お前が起きると煩いからな。月は静かに眺めるもんだ」 小馬鹿にしたように口元を引いた歳三がちらりと総司を横目にすれば、ぷっくりと頬を膨らませている。 「あ、心外だな〜。私だって、月見くらい静かにしますよ。大人ですから」 「実際、煩いじゃねぇか。少し黙ってろ」 いつもの調子で騒ぎ出した総司を黙らせ、再び夜空を見上げる。 くだらない、何気ない言葉の掛け合いを楽しめるのも、あと少しの間だ。 しばらく経って珍しく大人しくしている総司を不思議に思い、 歳三が隣に視線を落とせば、彼は頬杖をついたまま船を漕いでいる。 もうじき冬も明けようというのにまた体調を崩されては厄介だと、 布団を掛けてやろうとすれば、すぐ目の前に総司の顔が迫っていた。 小綺麗に整った顔の中で、薄っすらと空いた唇に視線を奪われる。 女の唇の様な柔らかさがあるようにも見えず、特別厚い訳でもなし。 だが、桃のように薄い色彩の唇を吸ってみたいという衝動に駆られる。 思わず見入った歳三の脳裏に、いつかの記憶がよみがえった。 『俺はな、総司のやつを―』 『実は一昨日、総司のところに―』 そうなるであろうと感じていたそれが確かなものであると知った、あの日。 (…俺は兄貴分として、総司を見守ってやると決めたじゃねぇか…) 歳三はきつく目を瞑ると軽く首を振り、上半身を起こした。 ―彼が総司の隣で眠ることが出来ない理由が、これだ。 ほんの短時間ならまだしも、一晩中隣に想いを寄せる者が寝ているとあれば、 あの百戦錬磨の土方歳三が黙って眠っていることなどできよう筈もない。 だが、武士の子に恥じぬ未来を掴もうとしている青年を己の勝手に出来るほど、 歳三は無知でも無鉄砲でもなかった。 「おい、総司。布団をちゃんと掛けて寝ろ」 「んー?…んむー…」 寝ぼけているのか、既に夢の中にいるのか、総司は空返事をするばかりだ。 風邪を引かれては大変だと無理矢理に布団をかけてやると、 いつ掴んだのだろうか、今度は歳三の着物の袂を握って離さない。 (こいつは、俺の邪まな想いなど、想像もしていないのだろうな…) 困ったものだと苦笑して隣に寝転がった歳三はしばらく無防備な寝顔を見つめると、 静かに、室内を照らす光を遮断した。 ―この想いは、秘めたまま墓場まで持っていく― いつぞやの誓いは、守り切れるだろうか。総司の寝息に、今日も溜め息が混ざった。 |
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普段は上洛直前には既に2人がくっ付いているパターンが多いので、そうならないようにお互いに自制している設定で書いてみました。 京へ行くか否かという選択の時に忍ぶ恋が絡んでたら、より心境が複雑でいいですよね〜。両思いなのに通じない2人に萌えますvv 背景はユキヤナギ。花言葉は静かな思い、愛嬌、愛らしさなど。(2008.5.5upload) |