梅香 −宗次郎sideー


若先生は昨日から小野路村へ出稽古に行っていて、今日はおかみさんもどこかへお出掛けするらしい。
相当楽しみにしている様で、おかみさんは朝から頻りに立ち上がったり座ったり、落ち着かない。
「まだ、迎えは来ないのかいっ」
「はい。お茶でも淹れましょうか?」

僕は最近では少し上手くなっきた、作り笑いをしてみせる。
何故か分からないけれど、僕が笑うとおかみさんが嫌そうな顔をするから。
『媚を売るなら、それらしく笑え』と怒られて、そんなつもりは無いと言えば叩かれて…
こうして笑っていれば、おかみさんは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけで治まってくれる。
―もうすぐ丸2年になる、これまでの生活の中で僕が学んできた事だった。

そういえば、僕がそんな笑い顔を作る度に不機嫌な表情を見せるあの人は、昨日から試衛館に泊まっている。
久し振りに来たのだから、一緒に遊んではもらえないだろうか…
そんな事を考えているうちに、おかみさんの迎えが到着したようだった。





おかみさんを見送ると、僕は門前から道場裏まで、敷地内の掃き掃除を始めた。
秋の頃と違って、この時期の掃き掃除は大して拾うべき物もないが、言いつけ通りに掃いていく。
すると、砂の中に何か白っぽいものが混ざっている場所があった。
不思議に思って周囲を見渡してみれば、隣家の立派な梅の木が
塀を越えてこちらまで枝を伸ばしている事に気がついた。

(あ、梅の花びらだったんだ!)
そう言えば、土方さんは梅のお花を良く眺めていたような気がする。
思わず手を止めて見入っていると、背後から「そうじろ、ちょっと来なさい」と呼ぶ声が聞こえ、
びっくりして振り返ってみれば、勝手口には大先生がいた。

「大先生、なんですか?」
勝手口へと向かいながらそう言うと、大先生は僕の頭を手でぽんぽんと叩いた。
大きくて暖かい手が、心地よくて少しくすぐったい。
「そうじろ、今日はいいよ。お友達と遊んで来なさい」
大先生は、僕にとても優しくしてくれる。その気持ちはとても嬉しいのだけれど…

―僕には、一緒に遊ぶお友達なんていないんです―
そんなこと恥ずかしくて絶対に言えないから、僕はそれに曖昧に答えた。

「…でも…」
「いいから。お小遣い必要かい?」
僕は大きく頭を振っていらないと伝えると、大先生に頭を深く下げてお礼を言った。





それから僕は、急いで土方さんの部屋へと向かった。
廊下を走り抜けるが、ちょっと驚かせてみたいという悪戯心に火がついて、途中から忍び足になった。
勿論、土方さんが今何をしているのか分からないけど、ゆっくり後ろから声をかけたら驚いてくれるだろうから。

土方さんの部屋へ着くと、その障子は開いたままになっていた。
僕がそーっと覗き込むと、土方さんは体をこっち向きに寝かせてお昼寝をしていた様で、全く気付かない。
(本当に眠ってるのかな…)
そう思った僕は、そろりそろりと土方さんに近付き、その顔を覗き込む。

どうやらよく寝ているらしく、僕が目の前でしゃがんでも気付かない。
(わー、寝てる時も不機嫌そうな顔してるんだぁ…でも、綺麗な顔…)
いつも見ている顔なのに、こうして改めて見るとまた具合が違う。
見れば見るほど、引き付けられているかの様に顔を近づけてしまう。

僕は土方さんが少し唸った事で、漸く目的を思い出した。
気付かれない様に、そっと後ろにまわる。
忍び足がこんなに難しいなんて、思ってもみなかった。

「わっ!!」
僕は思いっきり大きな声をあげて、土方さんのお腹の辺りに乗っかり、すぐに離れた。
土方さんはまた呻りながら体を起こして、僕の方を見た。
「土方さん、驚いた?」
全然気付いていなかったみたいだから、結構驚いてくれたのではないかと思い、頭を少し掻く土方さんを見つめる。

「あぁ、少しな」
「えー?ね、土方さん、遊びましょう?」
「嫌だね。俺ァ忙しいんだ。それより、仕事は終わったのかよ」
土方さんは僕の誘いに面倒くさそうに応えて、逆に質問を投げかけた。

「今日は、おかみさんはお出掛けで…大先生が遊んで来なさいって言ってくれました」
僕はにこりと笑って、だから一緒に遊んで下さい、と目で訴えてみる。
「じゃあ、どっか行って虫でも捕まえて来いよ」
―が、作戦失敗。
なかなか相手にしてもらえないけれど、僕には土方さんが忙しそうには見えない。

「…土方さんは、どうして忙しいんですか?」
「うるせーな。ガキはあっち行ってろ」
そう言い放つと、土方さんはまた寝転がって、僕に背を向けてしまった。
「……」

ここまで突っぱねられては、今日は一緒に遊んでもらえないのだろうか。
そう思うと、どうしていいものか判じかねて、僕はそのまま正座して土方さんの背中を見つめる。
すると、急に土方さんが振り向いた。

「……」
「……」
お互いに何も口にしないまま、とりあえず視線だけは合わせていると、土方さんは舌打ちをした。
(土方さん、怒った時によく舌打ちするから…怒らせたのかな…)

どう謝ったら許してもらえるのだろう、と頭の中がぐちゃぐちゃになって、僕は何も考えられなくなる。
そんな時、土方さんの面倒くさそうな、でも優しげな声が聞こえた。
「…何がしてェんだよ」
(もしかして…遊んでくれるのかな…)
「土方さんが、今やっていた事…してみたいです」
土方さんは忙しいと言っていたから、何かお手伝いが出来たらいいな、と思ったのだけれど…

「お、お前…俺が、何してたか…知っているのか…?」
返された土方さんの言葉は途切れ途切れで、時折震えていた。
「?? 土方さん、寒いんですか?あ、まだ春先だからお昼寝する時は―」
もしかして、お布団をかけずにお昼寝をしていた様だから、風邪でも引いてしまったのかもしれない―
そう思って言葉を繋げていると、急に土方さんに怒鳴られてしまった。

「いいから質問に答えろ、このクソガキ!!」
「し、知らないです!!」
僕は泣きそうになりながら、慌てて否定する。
自分が話した言葉の、一体どれが間違っていたのだろうか…

堪えきれずに涙が零れそうになった時、土方さんが優しく笑いながら僕の頭を撫でた。
「そうか、そうか…ならいい。じゃあ、散歩に付き合ってやるよ」
何故か急に機嫌をよくしたらしい土方さんは、それまでとは打って変わって優しくなり、
逆に僕をお散歩へと誘い出してくれた。

「…いいんですか!?」
まさか一緒にお散歩に行けるとは思っていなかった僕は、嬉しくて堪らなくて土方さんの手を引っぱった。





『お散歩』と言うだけあって、僕と土方さんが歩いたのは試衛館のごく近くの街道や小道ばかりだったけれど、
ところどころで咲く梅はとても立派で、甘い香りがして…僕はすごく楽しかった。

梅はもちろん綺麗だったけれど、時々立ち止まって梅を見上げたり、
梅と青空を背にして僕に笑いかけてくれる土方さんは、もっともっと綺麗だと思った。

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永らくweb拍手御礼として掲載していました。(2006.5.13up)