梅香 −土方sideー |
(梅の香…香る、梅……梅香る…) 俺は寝転がり煙管を燻らせながら、煙と真新しい畳の臭いにまみれた部屋から庭を眺めていた。 世の中は、じきに春を迎えるのだろう。 鵯(ひよどり)が赤い実を咥えて、庭の木々を跳ね渡ってゆく。 (…鵯か……啼く鳥の…違うな…) 初句が肝心であると言うのに、今日に限って相応しい言葉が浮かばない。 俺は煙管を置くと、ごろりと体を横にして頬杖をついた。 差し込む陽光は柔らかで、そっと俺を眠りの淵へといざなう。 俺がうとうとしてきた頃、廊下を走ってくる軽めの足音が響いた。 性懲りも無く今日も来たのかと俺が目を閉じたまま溜め息をついた頃、その足音は急に忍ぶものへと変わった。 薄目を開いてみれば、そこには正面の開いた障子に手を掛けて俺の様子を伺うガキの姿が映り、 そいつが俺の眠りを確認しようと近付いてきたから、俺は慌てて目を閉じた。 …何故、眠った振りをしてやらねばならないのだろう。そうする必要は無いのではないだろうか。 ふとそんな事を思案していると、随分近くから浴びせられていた視線が遠のいたのを感じた。 「わっ!!」 背後からそんな掛け声とともに、腰の辺りに重圧を感じたのは、それからすぐの事だった。 仕方なしに仰向けになって視線を移せば、そこには予想通り ―と言うか、他にこんな事を仕掛けてくる人物は居ないのだが―試衛館の内弟子、宗次郎がいた。 「土方さん、驚いた?」 機嫌よく笑って問い掛ける宗次郎は、図々しく圧し掛かってきたにも関わらず、今はもうそこに端座している。 出会った頃よりは、大分子供らしい面も見せるようになったのだが、未だに遠慮が抜けない様だ。 「あぁ、少しな」 ここまで散々廊下を走り抜けておいて、直前になってそんな小細工をしても 無駄であると分からない、宗次郎の持つその幼さが堪らなく愛しい。 しかし、邪魔である事に違いは無い。 「えー?ね、土方さん、遊びましょう?」 「嫌だね。俺ァ忙しいんだ。それより、仕事は終わったのかよ」 正直、宗次郎の相手は疲れるのだ。俺は話題を変えて、宗次郎の気を逸らせる事にした。 「今日は、おかみさんはお出掛けで…大先生が遊んで来なさいって言ってくれました」 …どうやら、逸らそうと思った話題は再び投げ返されてしまったらしい。 全く、どうして親友も居ないこんな日に来てしまったのだろう。 「じゃあ、どっか行って虫でも捕まえて来いよ」 「…土方さんは、どうして忙しいんですか?」 「うるせーな。ガキはあっち行ってろ」 そう言い放って、俺は再び横になって目を閉じた。 「……」 ―が、いつまで経っても宗次郎がそこを動く気配が無い。 不審に思って振り向いてみれば、そこには先程と同じ状態でひたすら俺を見つめているガキがいた。 「……」 「……」 むすっと膨れたようにも見えるが、宗次郎は無表情のまま俺を見ている。 ガキの大きな瞳を見つめ返しながら、俺は目を細めて殊更大きく苛立たしげに舌打ちをした。 その音に、宗次郎の瞳が不安に揺れる。 俺は上半身を起こすと胡坐をかき、宗次郎をいかにも面倒そうに見下ろした。 「…何がしてェんだよ」 「土方さんが、今やっていた事…してみたいです」 今していた事と言えば、昼寝か詩吟だが… (まさか、俺が作品を発句集にしたためているって事、知ってんのか!?) そう思い至った俺の背筋に、何故かひんやりとした感覚が走った。 「お、お前…俺が、何してたか…知っているのか…?」 自分でも信じられぬ程、声の震えが収まらない。 「?? 土方さん、寒いんですか?」 宗次郎は、春先だからお昼寝すると―などと心配そうに返事をしてくるが、俺はそれどころではない。 つい先程、彼の純粋さを賞賛したばかりだと言うのに、 本気でそう思っているのか、それともはぐらかそうとしているのか、どちらであるのか判じかねている。 「いいから質問に答えろ、このクソガキ!!」 思わず怒鳴りつけると、宗次郎は慌てて首をぶんぶんと振った。 「し、知らないです!!」 宗次郎の必死な様子と潤いを帯びているその瞳から、 それが本当であるのだろうと確信を得た俺は、そこで漸く宗次郎に笑ってみせた。 「そうか、そうか…ならいい」 そう言いながら宗次郎の頭を撫でてやると、 俺が機嫌を悪くした原因が自分にあると分かっていたらしい宗次郎も、不安そうな表情を和らげた。 「じゃあ、散歩に付き合ってやるよ」 「…いいんですか!?」 憶測の末、怒鳴りつけてしまったコトに流石に多少の罪悪感を覚えた俺は、 宗次郎を連れて、梅を探して近所を散策する事にした。 たったそれだけの事で満面の笑みを浮かべた宗次郎に手を引かれ、俺は試衛館を出た。 梅の香る街道筋や小道を歩きながら、ふと思った。 宗次郎は、たった一輪であろうとも凛とした存在感で人を魅せる、気高い梅に似ているのかもしれない。 …花が開くのは、まだまだ先になりそうだが。 『梅の花 一輪咲いても うめはうめ』 ―――これこそが、普遍の真理だ。我ながらいい句である。 |
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永らくweb拍手御礼として掲載していました。(2006.5.13up) |