月夜の姫君 (弐)



やがて目当ての料亭に着くと、川沿いの一室を要求する。

案内される途中、方々から酔いのまわった人々の声が響く。
呑むには多少遅く出てきたためか、運良く川沿いの部屋を設けてもらえたのだが、これはその代償とでも言う事か。

土方はうんざりしながら大小を置くと、乱暴に腰を下ろす。
「おやおや。穏やかじゃありませんね」
苦笑を浮かべた沖田は、その横に腰を休めた。
例のごとく、差料は持ち合わせていない。
「あんな浮かれた声を聴きながら呑むなんて、不愉快な事この上ねぇな」
「まぁ、すぐお帰りになるんじゃないですか?」

その時、ちょうど運ばれてきた膳から徳利を手にする。
それを見て土方も杯を取り、酌を受ける。
互いに馴れた手つきで、一杯二杯と重ねていく。
たまにはお前も呑むか、と土方が勧めても、沖田はただ首を振った。

周囲の喧騒をよそに、時折話を交えながらも静かに膳を進める。
沖田はしきりに窓の方を眺めていた。

「さて。そろそろ俺を連れ出した理由を教えてくれてもいいんじゃないか?」
そう声をかけると、口にした湯豆腐の思いがけぬ熱さに
はふはふ言っている沖田が、首を縦に動かしながら涙目を向ける。
土方が思わず吹き出すと、ご丁寧なことに、口内の豆腐を咽喉奥に流し込んでから、膨れてみせた。

「まぁ、膨れんなよ」
そう宥めると、沖田は再び外を眺める。
障子に阻まれたそこには、何も見えないはずなのだが…彼の目には何かが映っているとでも言うのだろうか。

「土方さん、今日は何の日かご存じですか?」
「…何かあったか?」
「今夜は、中秋の名月ですよ」
言いながら沖田は立ち上がり、障子を一気に左右に押し開いた。

漆黒に塗られた空に、こんぺい糖の様に散りばめられた星。
それらを従え、闇夜を渡るは円形の発光体。
悠々と渡るその様は、さながら闇夜を照らす光の使者だ。
それはちょうど、土方が沖田に抱く印象と酷似していた。

「なるほど。俺と月見がしたかったのか」
「ええ」
沖田は短く応じると、またうっとりと月に見入る。
「ちょっと色が濃くて恐いけど、美しいですよね」
土方はそんな彼を見つめながら、酌を進めた。
やがて、それまで土方に背を向けていた沖田が首を捻り、穏やかな笑みを浮かべて土方を見つめる。

「そーだ、豊玉先生!何か素敵な句を詠んで下さいよ」
「…何を言うかと思えば、そんな事かよ」
それを諾ととって、沖田は瞳を輝かすが、土方は見下ろす視線で片方の口角を上げる。
「俺はてっきり、抱いてくれとでも言うのかと思ったんだがな」

身の危険を感じた沖田が退くものの既に遅く、片腕を強引に引かれる。
「やッ、土方さん…!」
後ろから抱き竦められる形で腕に抱かれたかと思えば、次の瞬間には片手は衿元に入り込もうとしている。
―――珍しく、酔っているのだろうか。

一瞬そう考えたが、どちらにせよ身に迫る危険に変わりは無い。
「ちょ、ちょっと!!?」
必死で言葉を綴り、抵抗するものの、両手首を摘み取られてしまう。
己の手を摘んだ為に衿を開く手は止んだが、変わりにだらしなく広げられた衿から胸元が表わになる。
恥ずかしさから沖田は身を捩るが、男を逆に煽るだけだとは気付かない。

「こん…な、とこでッ…!」
耳たぶを甘噛みされ、首筋に口付けられる心地よさにうっとりしながらも、頑なに拒む。

その時、襖向こうから声がした。
「沖田せんせ、月見だんごが届いてはります。お持ちしてもよろしおすか?」
「は、はい!お願いしますッ!」
思わず緩められた土方の拘束から逃れると、天の助けと言わんばかりに上ずった声を張り上げ、慌てて衿を整える。
土方は舌打ちをすると膳の元へと戻り、熱燗を咽喉に注ぎ込んだ。

「お前、それを注文してたのか」
「ええ…お酒は程々にして下さいね」
もう、と口内で呟きながら座り直すと再び声が掛けられ、漆塗りの器が運ばれる。

器の上には、先端が鋭い楕円の白餅。その中央部にはあんこが乗せられている。
あたかも瞳の様な形状のそれを、店の者は『月見だんご』と称した。

「月見だんごって…これが?」
「ええ。京ではこんな形らしいですよー。不思議ですよね」
そう述べた沖田は嬉しそうに眺めている。
「ただの餅じゃねーか…」
木で拵えた正方形の台座に、規則正しく乗せられただんごを想像していた土方は面食らうばかりだが、沖田は既に口に含んでいる。
「もう食ってんのかよッ!」
思わず突っ込むと、沖田は月を見上げて言った。

「早く食べてあげないと、かぐや姫が名残惜しくて月に帰れなくなるんだそうです」
「何だ、それは。初耳だな」
「壬生寺で一緒に遊んでいる時、子供が言ってました」
想像力の豊かな子供達を思い出して笑いを浮かべた沖田に、土方も瞳を閉じて口元を緩める。

「なら俺は、月見だんごは食えねぇな」
「どうして?」
そう問答すると、右手を差し伸べて、その存在を確かめる様に沖田の左頬を撫でる。
沖田はただ黙って、真っすぐに見つめ返している。

「おや、姫は月に帰りたいと仰るのですか」
「…引き止めるのですか?」
そう言って見つめ合うと、沖田は吹き出した。
「なーんて。土方さん、乗せないで下さいよ」
「…」
「え?」
土方は呟きながら瞳を閉じ、聞き取れなかった言葉の復唱を求める沖田の肩を抱き寄せた。
「お前は俺からは逃げらんねぇからな。覚悟しとけよ」
そう耳元に落とす。
沖田が驚いた表情で見上げ、何をいまさら、と微笑むと、土方は優しく額に口付けた。

「しかし、お前の場合は『かぐや姫』なんて綺麗なもんじゃねぇな」
「じゃあ、何ですか?とりあえず、土方さんは翁役ですね」
沖田はそう言うと、くすっと笑う。

「中秋の名月と言えば、別名、芋名月。だったら、お前は『芋姫』ぐらいで丁度いいだろ。
 まさに相応しいと思わねぇか、『芋姫』様?」
先程とは打って変わって茶化す土方に、沖田は顔を染め上げて厚い胸板を叩いて反発する。

抱腹して笑い転げてたのは、いつ振りだろうか。
仕事の疲労も苦悩も薄れていく様な気がして、心の中で沖田に深く感謝する。





闇の中でも光を失うこと無く、周囲を照らす唯一の輝き。
現れたかと思えば、光の軌道を描いてすぐさま消えてしまう―――
その儚くも強い存在は、沖田に似ている。
そう思った。


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遅くなりましたが、漸く続きをアップできました…!
京都旅行に行ってた時がちょうど十五夜で、鴨川の河川敷でお月見したのですv その時、これをネタにしようと思いました(←安直。笑)
どっかの和菓子屋さんで見た月見だんごが話の中で書いたような物だったんですが…そのお店だけなのかな?関東・関西で違うんでしょうか?
あ、ついでに、その日初めてリアルに高校生の同性カップルを見ました…何かもう、その辺のカップルより熱かった!
(2005.10.05up)