春の蜻蛉
「次はいつ来てくれる?」 「さぁな…」 「ちょ、ちょっと…!歳三さん!?」 俺は幾晩か共に過ごした女を冷たくあしらい、行商の道具箱を背負った。 宿代代わりに相手をしたまでだが、出会った時に一瞬でも抱きたいと思った自分が腹立たしい。 この辺りの地域では有名な豪商の娘だと言うから、関わりを持って損は無いと思ったのだが、 婚礼前に若い男を誘う様な女だ。 やはり矜持も気品も持ち合わせてはいなかった。 急に駆け落ちしようと言い出されたので、もう帰ると宣言した途端、 俺を引きとめようとし、挙句の果てにはまた来いとまで言い出した。 後ろから聞こえてくる金切り声が、寝不足の頭に響く。 高潔さや矜持を兼ね備えた者こそが美しいと考える土方は、 女だろうと男だろうと、勝手な思い込みをして更にそれを押し付ける様な人間が許せなかった。 自分を慰める為の思い込みは問題無く、むしろその健気さと可愛さが愛しく思えるのだが。 嫌な女に出会ってしまったものだと恨めしく思ったが、流石に己の所業にも後悔を禁じえ得ない。 (まぁ、あいつが父親に口添えしてくれたお陰で薬も売れた事だしな) 今回の件は、そういうことで自分を納得させることにする。 気分を入れ替えて背中の道具箱を揺らしてみると、かなり軽くなってしまっている。 この度の行商では販売範囲を拡大するつもりであったが、 どこでも飛ぶ様に売れるこの薬は着いてすぐに無くなってしまうに違いない。 (久々に日野まで帰るとするか…) 俺は大きく伸びをすると、その先当たった分岐点で日の昇る方角へと足を進めた。 江戸の方に帰るのはいつ振りであろうか。 今回は秋に処方した薬を秋の終わりに売り始めて、本当に様々な地域を巡り旅を続けており、 近頃は麗らかな春の陽気に唆されてふらふらしていたから、半年近く離れていたのではないだろうか。 南の方角へは行けなかった事が心残りではあるが、また行けばいいだけのことだ。 柔らかな光を注ぐ太陽に向かって歩いていると、ある少年の顔が浮かんだ。 (そうだ、どっかで土産でも買ってってやるかな…) 相変わらず、自分は甘いものだと思い苦笑を浮かべながら道を急ぐ。 試衛館に着いたのは、それから3日後であった。 日野の佐藤家に帰ってしまえばすぐには動けないだろうと思い、直接試衛館に向かったのだ。 昼過ぎの時間帯で、道場からは親友の気合と門人たちの応ずる声が引っ切り無しに響いてくる。 (ちょっと面倒な時間に来ちまったかな) そう思ったところで、台所から食器類を抱えた見慣れた姿が出てきた。 こちらには一瞥もくれず、高く結った髪をさらさら揺らしながら向こうへ歩いて行く。 俺は迷わずに門をくぐり、足早にその背を追った。 どうやら、井戸まで食器を運んでいるようだ。 重そうな食器を山ほど、必死ではあるが持ち運んでいるところを見ると、 この半年で大分、腕力も増したことだろう。 「あっ!」 感心したのも束の間、椀の上から箸が転げ落ちた。 しばし立ち止まって思案するものの、今は拾えないと判断した様で、箸は捨て置いたまま井戸へ向かう。 俺は迷わずにその箸を拾うと、ようやく荷を置いてしゃがみ込んでいる総司の肩の後ろから差し出してやる。 「あ、ありがとうございます!」 言いながら振り返った総司の双眼が俺の姿を映し出すと、驚きよりも喜びが先行した様で、 満面の笑みを浮かべて俺に抱きついて来た。 抱きつくという反応は想像していなかったため、驚かしたはずのこちらの方が驚いてしまった。 「土方さん…!お帰りなさい!!」 「久し振りだな、ソージ」 足にしがみ付いた宗次郎の頭を撫でてやると、少し背が伸びたのではないかと感じる。 いつまで経っても顔を上げようとしない宗次郎に、顔を見せろよと言って屈みこむ。 視線の高さを合わせると、宗次郎は少し恥ずかしそうに笑った。 「ずっと…待ってたんですよ?」 初めて会ったのは、桜が散り始め、花と青葉が交じり合う季節だったから、 出会ってからもうじき一年になるだろうか。 今でも、変わりないあどけなさを残すその端整な顔。 幼くしてこの様な波乱に満ちた人生を送っているこの子供は卑屈になってしまうのでは無いか、 人を恨むような醜い表情を浮かべる様になってしまうのでは無いか― その事をずっと気にかけていた俺は、純粋なその笑顔を心底嬉しく思った。 「ねぇ、いつまで居てくれるんですか?」 「しばらくは行商には行かねェよ。今日はここに泊まるつもりだ」 家の主にも親友にも許可など取ってはいないが、勝手に宿泊を宣言する。 尤も、親友は喜んで迎えてくれるだろうし、大先生は知られなければそれまでだ。 土産を用意すると言えば、近藤にも用意しなければならない。 となれば、道場の大先生にも好物の蛇でも取ってこなければならなくなるだろう。 そう考えると、折角の売り上げを削る訳にもいかない為、そこらに倒れていた竹を少し頂戴して来た。 「土産はねェ代わりに、後で遊んでやるよ。時間あるか?」 宗次郎は純朴そのもの、笑みを浮かべて頷いた。 「はい!急いでお仕事を済ませますね!」 よし、と言って微笑んでやると、宗次郎は急いで目の前の仕事を片付け始めた。 それを見ると、俺は親友に挨拶をするため、声の止んだ道場へと足を運んだ。 親友と久々に談笑をしているうちに日が傾き始めたが、いつまで経っても宗次郎は姿を現さない。 不思議に思って自分から探しているうちに、自分と親友が対面している所に、 約束があるからと言って割り込んで来るような性格は持ち合わせていない、という事に気付いた。 漸く見つけた宗次郎は、部屋の前の庭で素振りをしていた。 「仕事が終わったんなら、呼びに来いよ」 「すみません…遊びって、何をしてくれるんですか?」 余程嬉しいのであろう。謝罪を適当に済ませ、輝いた目を向けてくる。 「竹とんぼ作ってやるから、飛ばせよ」 「…?春なのに、とんぼですか?」 眼前の子供は意味不明な言葉を発すると、首を傾げて荷物から竹の切り株を取り出す様を見ている。 こんな動作を見ていて、何が楽しいのだろう。 ―まさかそんな事あるまいとは思うが、あながち有り得ないとも言い切れない考えが浮かぶ。 「まさか、竹とんぼを知らないとか言わねェだろーな…?」 少年は、申し訳なさそうに視線を落としながら頷く。 少し伏せられた長いまつげが、目元を美しく彩る。 「いつも何して遊んでたんだよ?姉さんに遊んでもらわなかったのか?」 「姉様は…あ、お手玉とかおはじきとか! 父様には独楽を教えてもらいましたけど、その頃は上手く回せませんでした。それから―」 誇らしげに自分が知る遊びを述べるが、どうにも数が少ないうえ、大半はおなごの戯れである。 「あー…そうか、もういい。ちょっと待ってろよ」 俺が小刀で竹を削っていくと、宗次郎は完成するまで食い入るように俺の手元を見つめていた。 羽の中央に、団子の串を突き刺すと、宗次郎に手渡してやった。 嬉しそうに見つめ、手で持ち替えてみてはえへへ、と照れた声を漏らす。 「いいか?それを両手の間に挟んで、寒いときみたいに擦り合わせて、回すんだ」 説明してやると、宗次郎は素直に串を回転させてみせる。 「そう。それで、片手を向こう側に思いっきり押し出して離せ」 「うん」 宗次郎は少し緊張した面持ちで竹とんぼを放ち、それは緩い回転を保ちながら、 ほんの一時ではあるが、美しい放物線を描いて中空を渡った。 「すごい…!土方さん、飛びましたよ!!」 「ああ。もっと勢いつけて飛ばしてみろよ。そんなの序の口だぞ?」 跳ね上がって喜びながら振り返る宗次郎に、もっと遊べと促す。 …つい皮肉っぽい言葉が出てしまうのは、自分の性分だ。 宗次郎はそれを知ってか知らずか、素直に次はもっと飛ばしますよ、と意気込んで、 既に薄暗くなった空に、何度も何度も飛ばし続けた。 |
*************************************************************
web clapに掲載した土宗小説の続編です!リクいただきましたので、書かせて頂きました♪どうもありがとうございました! ご期待に沿えているか不安ですが、土宗は日常ネタで色々と書いていきたいと思っています。 ほのぼの土沖も書きたいなぁ…ぜひ、ご意見・ご感想など聞かせてください☆(2005.11.5upload) |