傍にいる幸せ −宗次郎side− |
「おはようございます、おかみさん」 「余所見してんじゃないよ!さっさと掃除をしなさい!」 もう夏になったけれど、夜明け前はまだ暖かいとは言えない。 今日も下働きとして仕事が沢山あるため、床を出て井戸で顔を洗っていたのだが、 随分冷えると思って雲の多い空を見上げたところで、背後から怒鳴り声が聞こえてきたのだった。 すみません、と答えると、荒い鼻息を放って踵を返した。 また怒られると怖いので、慌ててほうきを手にして敷地内を掃き始める。 彼女は試衛館の大先生の奥方。よくこんな時間から起きて、声を張り上げられるものだと思う。 最初の頃は怖くてしかたなかったが、近頃は少し慣れてきた。 掃き掃除に道場の床磨き、料理の手伝いと配膳、後片付け、洗濯…と、 家事の全域に及ぶ仕事の為、朝は最も忙しい時間帯なのだ。 ここで少しでも早く仕事を片付けていければ、夕方には余裕ができて、素振りもできるかもしれない。 そんな期待を抱きつつ、早々に掃き掃除を終わらせた頃、おかみさんの呼び声が聞こえた。 「お遣い…」 「そう。何度も言わせるんじゃありません!朝市で買って来るのですよ」 言いながら、沢山の品が書き連ねてある紙切れを渡された。 昼にお客さんを迎えるらしく、その為に必要だという事なのだが… 朝市まで行って帰るだけでも、昼餉までに十分な準備時間を確保できるか危うい。 だというのに、これ程の荷物を抱えて戻って来いという。 (間に合わなかったら、また叩かれてつねられるのかな…) 泣きたい気持ちになりながら、朝食の準備をしている下女に手伝えぬ事を謝り、 胃を空にしたまま籠を片手に市へと向かった。 朝市で大量の野菜と魚を購入して、片手では持ちきれなくなった籠を両手で必死に持ち上げる。 自分が10歩進むうちに、果たして何人の大人たちが抜かして行くのだろうか。 何か他のことを考えていなければ、これ以上歩いて行けないような気さえしてくる。 人影のまばらなあぜみちを通りかかる頃には、既に日は見上げる程の位置に昇っていた。 時折、道沿いに大きめの石があると、そこに籠を置いて腕を休める。 そうでもしなければ、どこかに籠を落としてしまいそうだ。 少し休んでいると、宗次郎が今まで歩いていた方角から同じ年頃の子供が5〜6人駆けてきて、 自分を追い抜いて行った。 誰が一番早く走れるか、楽しそうな声をあげながら競っているらしい。 彼らの行き先を無意識のうちに追うと、道から少し外れた場所に古ぼけた社があった。 (ちょっとだけなら、見てみてもいいかな) 今から急いでも、どうせ帰るのはお昼頃になってしまう。 同じ様に怒られるのならば、気になる事をしてしまった方がいいと思い、社へと近付いて行った。 ようやく社へと到着すると、先程の子供たちはもう別の遊びをしていた。 手を繋いで円形を作り、その中央で一人だけ縮こまって俯いている。 最初は苛められているのかと思ったが、楽しげな様子から違うということが分かる。 (僕の知らない遊びだ…何してるのかな) 真正面から見る訳にもいかないので、社の陰からこそこそと覗く事を繰り返す。 時間を置いて見ているため、どういった類の遊びなのか全く分からない。 自分にも同い年の友達がいれば、ああいった遊びをしていたのだろうと思うと、急に寂しく思えてくる。 すると突然、背後から耳元に暖かい息がかかる。 「お前、見てないで混ぜてもらえばいーじゃねェか」 思わず体を震わせ、反射的に振り返る。 相手を見上げて凝視すると、それは慣れ親しんだ男の姿であった。 「何だぁ、土方さんですか…」 「何だ、とはご挨拶だな」 苦笑しながら頭をぽんぽんと軽く叩かれ、自分の周囲にはこんな風な素敵な人たちがいるではないか、と 先程の憂いを打ち消すように微笑んで返す。 土方さんは社の向こう側を少し覗き込むと、こう言った。 「あいつらと一緒に遊びたいんだろ?」 「…ううん」 一瞬、躊躇したものの、頭を横に振りながら応えを返す。 羨ましさは確かにあるのだが、だからと言って簡単に遊びたいとも思えない。 「じゃあ、俺が頼んできてやるよ」 「だ、だめ…!呼んじゃやだッ!」 土方さんは躊躇を見逃さず、それを僕の引っ込み思案な性格に照らし合わせた様だ。 慌てて両手で彼の着物を掴み、頭を横に振りながら見上げる。 すると、土方さんがしゃがみ込んで、視線の高さを合わせてくれた。 「なんで」 「…お遣い頼まれてるんです」 「じゃあ、俺が持ってってやるから」 「土方さん、試衛館に帰るところですか?」 「そうだ」 土方さんは言いながら頷いた。 普段は土方さんが試衛館にいても、殆ど会話する余裕などない。 だが、今ここで一緒に帰ると言えば、様々な話を聞かせてもらえるのではないだろうか。 笑顔を浮かべた僕に、土方さんは安堵した様に息をつく。 「じゃあ、僕も一緒に帰ります」 「何でだよ!」 「いいんです。おかみさん待ってるし、お洗濯もしてませんから」 土方さんを少し怒らせてしまったらしい。 僕に鋭い視線を向けてくるので居たたまれなくなり、適当な理由を述べて籠を手にとり、あぜみちへと戻る。 彼が怒るのも無理はないと思うが、自分が拒むのにも理由がある。 今、あの子供たちと一緒に遊んでその楽しさを知ってしまったら、 滅多にそんな時間を作れない自分は、ずっと焦がれて暮らさなければならなくなる。 友達になったら遊びに誘ってくれるかもしれないが、自分は断るしかない。 断り続ければ、やがて誘われなくなるだろう。 そんな形で失う寂しさを味わう位なら、最初から関わりが無いほうがましだと思う。 もう一つの理由は、絶対本人には言わないけれど… 土方さんと一緒にいたかったから。 体勢を右に崩しながらできる限りの早足で歩いていると、急に籠が上に持ち上げられた。 驚いて見上げると、土方さんが籠を掬ってくれたのだと気付いた。 彼は籠を右手に持ち替え、顔は正面を向いたまま、左手を差し出してくる。 (手…繋いでくれるのかな) 自分は彼の意を取り違えているのではないかと不安に思いながら、その手に右手を乗せる。 すると強く握り返され、自分を見下ろして笑いかけてくれた。 僕は嬉しさのあまり、照れもない、心からの笑顔を返した。 |
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web clapで公開していました。初めて書いた歳宗作品です◎こちらは宗次郎視点(2005.12.31up) |