舞い散る


見上げる桜は、どこまでも青い空に映える。
その美しさは、まるでそれが永遠に続くものであるかのように思わせ、見る者を酔わせる。

だが、舞い散る花弁がそれは虚構にすぎぬと現実を突きつける。
桜吹雪の中から微笑んでいる想い人は、桜の儚さを体現しているかの様に見えた。





雪解けた大地からは筑紫や蕗の薹が姿を現し、渡りの鳥たちもしばしの休息を求めるこの季節。
その象徴たるこの花は、先日になって漸く屯所周辺でも蕾を膨らませ、春の訪れを告げたばかりだ。
西本願寺の辺りでは数えるほどしかないというのに、それでさえ一緒に見たいと言い出した
想い人の可愛い我侭に二つ返事をしたのが数日前のことで、非番が重なったのは今日になっての事であった。

言葉にすればほんの数日であるが、参謀として新選組に在籍していた伊東が分離を説き、
幹部級である人員が抜けてしまった春先から殊更に忙しくなった為、それだけの日々を随分長く感じていた。
新しく格が上げられた隊士達は最近になって役職が板に付いて来たところで、
こいつも漸く、江戸からの同志である藤堂と斉藤の居ない暮らしに慣れてきた様だ。

尤も、時折覗かせる愁いを含んだ笑顔は変わらぬままだが。



「どうしたんです?ぼーっとして…」
いつの間にか俺のすぐ前までやってきた総司は、体を屈めて俺の顔を覗き込んでいた。
そんな姿勢をとるまでもなく俺を見上げるかたちになると云うのに、
わざわざ小首を傾げて見上げる眼差しからは、悪戯心が見え隠れする。

「何でもねぇ」
突き放す様に言い放った俺にいつも通りの微笑みを返すお前は、俺の憂慮を知っているのだろうか。
どうしようも無い不安に揺れる俺の弱さに、気付いているのだろうか。
知られたくない気持ちと、理解して、少しでも傍にいて欲しい気持ちの狭間で揺れる。

この春を迎えるにあたって、総司は―やはり、と言うのが妥当なのかもしれないが―体調を崩して寝込んでいた。
いつからであったか覚えてはいないが、屯所内で咳が聞こえれば
恐らく総司だろうと断定されてしまう程、体調不良や咳は頻繁になっていた。

永い時を経て漸く手に入れたこいつは…
…少しずつ、また俺の手の届かぬ場所へと向かっている様で…

―手元から離れていってしまうような気がして、恐かった。





あいつが後ろに続いている事を疑わずに黙々と歩いていた俺は、ふと立ち止まった。
「お前、団子は食わないのか?」
いつも何かにつけて食いたがっていたそれを、今日はまだ強請られてはいない。
立ち止まったまま首を少し左に向ければ、合わせたかの様に総司が追いつき立ち止まる。

「音羽山まで行ったら、お茶屋さんに寄りませんか?食べながら歩くと下品でしょ」
「…お前、いつもやっているだろうが」
今更何を言うのか、と俺がいささかげんなりして応えてやると、お前は口を尖らせて反論した。
それさえも可愛いと思ってしまうのは、惚れた弱みと云うやつだろうか。

上質の絹の様に潤沢な黒髪、底の見えぬ黒かと思いきや光を受けては薄っすらと藍を透かせる大きな瞳。
滑らかな肌とその上に唯一の色を鮮やかに咲かせる小さな唇。
間近で見下ろした衿元からは白い肌が覗き、その鎖骨や下の肌には小さな花がちらつく。
―桜よりもよっぽど綺麗な、俺の咲かせた赤い花。

それを目に留めてしまえば、触れたいと思うのはいつものこと。
俺がその柔らかい頬を撫ぜれば、総司は「くすぐったいですよ」と言いながらはにかんで、身を少し引いた。



音羽山の坂道を登って行くうちに、次第に風が吹き始めた。
最初はそれほどではなかったそれも、気付けば総司の表面の髪を揺さぶり始め、
ひときわ大きな、突風と呼んだ方が相応しいような風が吹き荒れ―

―運んできた。
はらはらと舞う、薄い花びらを。

「おい総司、ちょっと待て」
俺が呼べば、その薄い身体を捻って振り返る。
「何ですか?」
「あっち向いてろ」
大した説明も与えずに俺に背を向けさせると、その髪に絡まった桜の花びらを一枚ずつとってやる。
総司はすぐにその意味することを理解したようで、黙ったまま身じろぎせずに前方を眺めている。

子供の頃から、どれだけ鍛えても肉のつかぬ肩。
しばらく忙しくしているうちに、それは一層頼りなげになった様に思う。
そのうえ、その肌はまるで桜の花の様に白い…両者があまりに似ていると思うと、俺は知らぬ間に呟いていた。

「桜は…儚いな。お前に似ている」
「…桜のように潔く散る事ができるのなら、それは儚いとは思いませんけど?」
思わず呟いた俺に返した、総司の『潔い』という言葉がやたらと耳に残った。

何故か不安と焦燥に襲われた俺は、腕を引き、路地裏に総司を連れ込んだ。
「散らせるつもりはねェよ…」
「なに言って……!」
誰の事を言っているのか本気で分からないのか、それとも呆けてみせているのか知らないが、
つれない総司がどうにも恨めしく、俺は総司の首筋を強く吸った。
しぶとく咲く花を、刻み付けるために。





永遠に続く日々など無いと分かっている。
これが限りのある幸せであることなど、とうに分かっている。

それでも…
この瞬間だけは永遠だった。

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まだ病には気付いていないけれど、総司を見て嫌な予感がしてる土方さんの心情についての話でした。
ストーリーも何も無く、とりあえず土方さんの不安が描きたかっただけです…桜なのに暗くてすみません!
前半のやる気マンマンな書き込み具合と、訳が分からなくなってきた後半部分の書き方にえらい差がありますね。笑(←笑えない)
(2006.4.5upload)