楓 (弐) |
「わぁ、すごいですねー!」
「これ程とは思わなかったな…」 翌日、2人は清水寺に来ていた。 目の前に広がった文字通り一面の紅葉は、 橙でも黄色に近かったり、緑の面影を残していたり、様々な様相で主張している。 これまでは紅葉など見に行く人々の気が知れなかった土方だが、 とりわけ鮮やかな楓の紅さには確かにその価値がある、と納得した。 「私、楓の葉が一番好きだなぁ…」 うっとりとした瞳で空を見上げ、風に揺れ落ちる楓の葉を掴もうと両手を伸ばしているその様は、まるで小さな子供。 既に周囲など見えてはいないのだろう。 しかし、一所に留まって葉を待ち受ける彼の手には、何も舞い降りては来ない。 運良く、この見事な紅葉に人影が比例していないため道には多少ゆとりがあり、誰もが総司の横をすり抜けて行く。 ―もっとも、ぶつかる者があれば直ぐに喧嘩を売ろうという視線を撒き散らしている土方のお陰かもしれないが。 とは言え、往来の中で立ち止まっている総司を見て、微笑みや苦笑を浮かべて行く人が多いため、 その様がとても愛しくて、背中を眺めながらそのままにさせておいた土方も、流石に声を掛ける。 「満足したか?」 土方の声に、差し伸べていた腕を下ろして肩で溜め息をつくと、振り返らぬまま相変わらず上を見て言う。 「楓が、私の所に来てくれないんです…」 心底残念そうな声で、いつまでも来ぬ恋人を待っている様な言い回しをされ、何となく土方は苛立った。 こんな事で妬いたところで意味は無いと分かってはいるのだが、癇に障ってしまったからには仕様が無い。 土方は問答無用に総司を連れて行こうとして前に回り込んだが、その顔を見て思わず微笑んでしまう。 「…?どうしたんですか?」 紅葉狩りが相当嬉しい様で、未だにうっとりしている総司は、土方につられて笑顔を浮かべて鈍い反応を返す。 土方はしばし言葉を失い、それから少し照れた様に総司に告げた。 「…楓はちゃんとお前の元に来てるぜ?」 「え?」 「髪飾りみたいだ」 まるで誂えた様に、総司の右耳の上の辺りの髪に細い枝に紅い3枚の葉を絡めた楓が乗っている。 この世に秋を司る神がいるのだとすれば、その姿にこの総司は勝るとも劣らないだろう― 神仏など信じてはいない土方でさえも、あまりの似合い具合と可愛さに、そんな事を考えてしまう。 すれ違う人々の注目は恐らく、この為だったのだろう。 頭上を探ろうとしている総司の両手を慌てて摘み取り、 似合うからそのままにしておけと耳元で囁くと、総司は頬を赤らめて小さく頷いた。 「上の方にも行ってみていいですか?」 総司は剛健な柱に支えられて大きく張り出した場所を見上げて、指差した。 「ああ」 「あれ、何でしょうか?」 「さあな…」 今まで歩いてきた場所は入り口から平坦に歩いた先であったため、 一度境内の入り口に戻り、上部にある張りを目指して少しの上り坂を行く。 2人は京都に関する知識が全く無く、今日もただお世話になっている八木家の家人に 紅葉の名所を尋ねて来ただけで、どういった場所なのか分からなかった。 しばらく歩くと、先程見上げていた張り出しが姿を現した。 「すごい眺め!京の街が一望できますよ、土方さん!」 「本当だな」 桧の板張りになったその踊り場に来て、総司は大喜びで身を乗り出した。 土方もその紅葉と遠景の交じり合った風景を美しく感じたが、やはりそれを見て喜ぶ恋人の笑顔には適わない。 背後へ近付いて乗り出しているその腰に両腕を巻きつけると、彼も土方の腕にそっと手を添えた。 「下駄で転んだら危ないからな」 「何言ってるんですか、子供じゃあるまいし」 日頃の慌しさを忘れ、時の流れを緩やかに感じながら2人は音羽山の寺からの紅葉を楽しんだ。 それから二寧坂を下り、祇園の辺りを散策して気がつけば、既に日が落ちかけている。 物見遊山に耽っているうちに、総司が楽しみにしていた菓子を楽しむ刻限が過ぎてしまっていたらしい。 しばらくは黙っていたのだが、やがて残念そうにぼやき始めた。 「甘さ控えめだから、土方さんでも食べられそうな京菓子があったのに、もう夕刻ですね…」 今朝から何度も何度もその菓子の話をしていたから、相当楽しみにしていたのだろうが、 土方にとってはこれ幸い、といったところだ。 甘い・甘くないという点ではなく、菓子というものがそれ程好きでは無いという事を、 いつになったら理解してくれるのだろうと常々思ってはいるのだが、 自分もかつては饅頭などを楽しんでいたため、何となく言い辛いものがある。 尤も、好きな類の菓子であれば、多少甘くても嗜めなくは無いのだが。 「まぁ、京に留まってる間に機会もあるだろ」 「…一緒に出掛けられるのは珍しいのに?」 寂しそうに呟く総司の睫が、紅い葉の陰に揺れる。 楓の魅力も、この麗人を前にしては皆無に等しく、引き立たせる役目を負うばかりだ。 「もうしばらくして組が落ち着けば、時間もできるさ」 「そうですかねぇ…変わらない気がするけどなぁ」 「そんな事より、まずは今楽しんだ方がいいだろ」 言いながら肩を引き寄せられると、総司もそうだけど、と呟きながら身を任せた。 他愛もない会話を交わしながら歩いていると、店の軒先で呼び込みをしている女性から声が掛かる。 「可愛い彼女にかんざし如何どすか?」 視線を向けられていると気付いた総司が慌てて離れようとするが、土方は肩に置く手の力を強めて許さない。 「いいんだ。こいつは、楓が似合うから」 笑い返しながら言うと、店の女性は頬を染めて確かに、と呟いた。 隣の総司は黙って土方の腿の辺りをつねっている。 自分が女性だと思われたのに否定しなかった事と物売りに色目を使ったとでも思って妬いているのか― どちらに対する態度なのか土方には判りかねるが、できることなら後者であってほしいと思う。 反応に困って腕の中の存在を見やれば、幾筋かに分かれた髪の隙間から覗いたうなじまで色付いていた。 「…恥ずかしい事言わないで下さい」 店からやや離れた頃、漸く口を開いたかと思えば、そんな非難が降った。 「そう思うんだから、仕方ねぇ」 総司は溜め息を漏らし、一瞬の隙をついて土方の腕から逃げ出し、向かい合わせになった。 今日はどこまでも甘えたい気もするが、これ以上主導権を握られていては、 また人前で恥ずかしい思いをするかもしれない。そんな思いからの行動だったのだが― 「で?この後はどーするんですか?」 「夜は豆腐料理でも食うか」 「…なんか、みなさんに申し訳無いですね。いいんですか?そんな贅沢」 「気にする必要無いだろ。食いたくないなら別だがな」 「とんでもないです、ご相伴に預かります」 ―結局土方に上手く乗せられてしまう。 からかい混じりに言う土方に、総司もわざとらしく応じた。 二人は微笑みを交わすと、歩けば腕が触れてしまう距離を保ったまま進んだ。 やがて土方に連れて行かれた店には、総司が見慣れぬ類の看板が掲げてあった。 確かに食事時と言うにはまだ早いが、一体何のつもりだろうか― そう思った瞬間、店の奥から小さく聞こえてきた甘い叫び声から、その場所を理解した。 体が熱くなるのを感じて入り口で立ち止まると、既に暖簾に手をかけている土方が振り返った。 「嫌か?」 「……」 わざわざ尋ねる位ならばいっそ強引に連れ込んで欲しい、 そんな事を思う総司だったが、土方も立ち止まった総司に不安が隠せない。 何も言わぬ恋人に、もう一言かける。 「俺は食事よりも、楽しみたい」 「…お豆腐は?」 「楽しんだ後で、な」 人気が無いとは言え、店の前でよくそんな台詞が言えるものだ、と 総司は少し呆れながら通わせていた視線を下ろし、手のひらを下にして右手を差し出す。 合意の上とは言え、自分からその店に入るなんて事はできない。 羞恥の為か震えているその手を土方の少し冷たい手が掬い上げ、暖簾の奥へと導いた。 駐屯させてもらっている八木家の広さには限界がある為、 一人部屋は割り当てられていないし、なかなか人の居ない機会など無い。 また土方の近頃の忙しさから会う時間も減っていたため、随分と長い間、体を重ねていなかった。 ―焦がれていたのは、総司も同じ。 「今日は存分に可愛がってやるからな…」 「……はい…」 ようやく至福の時を迎えた2人は、漆黒の帳に覆われた部屋に甘い喘ぎを零した。 |
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土沖の甘々話でした!またしても、エロ目前で逃げました。苦笑 『歩くと腕が当たる距離』ってすごい好きです!ぶつかるんだけど、お互いに離れようともしないし、かと言って手を繋ごうともしない… そんな微妙な距離感が土沖っぽい気がします◎(まぁ、手を摘み取ってくれたら、それはそれでまた好きなんですが…) (2005.11.11upload) |