輝くものは



嘉永4年、江戸にも夏がやって来た。

稽古着に身を包んだ男が手をゆるく振るが、それによって作り出されるのは僅かな生温い風。
暑さを凌ぐどころか、助長されるだけだと気付いてはいるのだが、何故かその手を休める気にはならなくて。
そんな無意味な行動を繰り返しながら、男は今日何度目かの言葉を口にした。

「暑い…」
「…言ったら余計に暑くなるだろ」
「…悪い」

道場脇の廊下に座り込んで、時折吹くそよ風に期待しながらそんな会話を交わすのは、歳三と勝太だ。

「最近は暑くなってきたなぁ…」
空を見上げた勝太は、すぐに目蓋に手を添えた。
降り注ぐのは、容赦なく大地を焦がす、眩しく輝いた太陽だ。
美しいそれはまばゆすぎて、目蓋を閉じても光を訴えてくる。

「夏のお天道を真っすぐ見上げられる人がいるもんなら、見てみたいもんだ」
何度も瞬きを繰り返して調子を戻しながらそう言った勝太に、歳三は曖昧に頷く。
苦笑する男の顔を訝しげに覗いた勝太に、歳三は指でとある一方を示しながら告げた。
「…見上げてる奴なら、そこにいるが」
彼が指差した先には、真っすぐに上を見る最年少の内弟子の姿があった。



洗濯物を干しながら、燦然と輝く太陽を愛おしげに見つめて笑んでいる。
この暑さと日照りの何が楽しいのだろうか…理由があるのなら教えてもらいたい位だ。
歳三は半ばうんざりとしながらも、忙しなく働くその姿が可哀想でならなかった。

「宗次郎はまるで、太陽の様だな…」
「…あいつも働き通しって意味か?」
歳三の皮肉った口調に、勝太は少し珍しそうに目を見開いた。

「…盆には帰れと言ったんだが…お光さんに断られてなぁ。下女も休んでいるし、仕事が多くて辛いだろうに」
勝太はそう言いながら顔をくしゃりと歪めたが、手を貸すつもりは無いらしい。
いつも過保護な程の勝太のそんな姿は珍しい…歳三は思わず、隣の男を凝視した。
視線に気付いた勝太と顔を見合わせると、歳三は遠慮もなく問い掛ける。

「…珍しいな。手助けしないなんて」
勝太は苦笑した。
そこから読み取れるのは、明らかに本意では無いという心境。

「義母さんが騒ぐんでな…」
「いつもの事だろ」
「この前、『手伝ってやる事はあの子の為にならない』と言われてな…宗次郎の為と言われたら、何も出来ないさ…」
きっと寂しいだろうから、時間が出来たら遊んでやってくれ、
そう言い残して、勝太はその場を去った。

(寂しいのは自分だろ…)

視線の先には、小さな背中。
歳三は歯痒い思いに、人知れず舌打ちした。








「おさんぽ?」
少し不思議そうな表情で自分を見つめる子供に、歳三は頷いてみせた。
「どうせ稽古も休みなんだ。お前が一日中ここにいる必要はねぇだろ?」
「……」
困った様に黙った宗次郎に、盆の一日に少し散歩した位で怒られるか、
などと言ってやれば、その顔は漸う笑みを浮かべてくれる。



歳三は宗次郎を伴って、日本橋まで歩いて行った。
川は涼もうとする人々の乗った船でごった返し、どこの船からであろうか、優雅な琴の音まで響いている。

歳三の少し後を歩いてくる宗次郎は朝から晩まで働き通しであるというのに、真昼間からよくやるものだ。
折角だから涼しげな風景を見せてやろうと思ったのだが、これではむしろ暑苦しい。
軽く舌打ちをすると、歳三は宗次郎へと向き直った。

「宗次郎、川は今度だ。そのうち、多摩川にでも行きゃぁいい」
「うん?」
彼はそうそう出歩く機会を許されていないと知っているにも関わらず、随分と勝手な事を言っている。
勿論その自覚はあるが、宗次郎はその点には―敢えてか気付かずにか分からないが―触れずに頷き返した。

「今日は木陰でのんびり昼寝して、虫でも捕まえてやる。たまには、いいもんだろ?」








歳三は日を受けて暑くなった道の上を、殊更ゆっくりと歩いていた。

あまりにも暑いので、昼食がてら休憩をしてそばをすすったのだ。
だがその際に少し長居しすぎた様で、店を出たのは日が最も強く降り注ぐ時分であったようだ。

後ろからちょこちょこと付いてくる宗次郎は、道の脇を列を成して歩く蟻にさえ興味を抱くようで、
少し視線を離した隙に視界から消えてしまう。
勝手な行動に慣れていない宗次郎は、それを追う事は出来ず、
気になったモノの前で立ち尽くし、ねだるような表情で目的のモノと歳三の顔を何度も見比べるだけなのだが…
最初、歳三は宗次郎が暑さに倒れてしまったのではないかと恐慌したものだった。

今も、ふと話しかけた宗次郎からの応(いら)えが無かったが故に振り返ってみれば、
宗次郎はかなり後方に置いてきぼりになっていたという状況である。
歳三はそれと知れぬように溜め息をつき、頭を軽く掻きながら、来た道を戻って行く。

朝方、何故彼が太陽を眺めていたのか、何となく分かる気がしてきた。
何にでも興味を抱く宗次郎のことだ、何もかも『眩し』くて『気になる』ものなのだろう。



「どうした?」
立ち尽くしたままの宗次郎の隣までくると、歳三は少年と同じ方角を眺めながら問い掛けた。

「ね、歳三さん。ひまわりです」
そう言って宗次郎は遠方にある沢山の黄色を指差した。
そして、それきり何も言わない。

「…ひまわり、好きなのか?」
「綺麗に咲いてるね」
少年はこくんと頷くと、それこそ向日葵の様な笑顔で歳三を見上げてきた。

だが、歳三は梅の様に小さくとも確かな存在感を持った香りのよい花が好きで、
主張の激しい、向日葵の様な大柄な花はあまり好きではない。
だから、宗次郎の気持ちなど一寸も分からなかったが、とりあえず程度に問い掛けた。

「…近くで、見るか」
はるか遠くに見えている向日葵を見たい、と言うほどに好きではないだろう、と
予想しての言葉だったのだが、宗次郎はその可愛い顎を引いてみせた。
密かに肩を落としながらも、歳三は「行くぞ」と言いながら小さな手を取った。





「わぁぁ…おっきい!」
背の高い向日葵の前で、宗次郎は背伸びしながら手を伸ばした。
だが、その小さな手に花が触れる事などなく、また花が宗次郎と顔を合わせる事はない。

ただひたすらに太陽を追いかけて、空を見上げる向日葵。
今朝方みたばかりの、小さな姿を彷彿とさせる。

「肩車、してやろうか?」
向日葵の足元で、葉と茎ばかり見ていてもつまらないだろう、
そう思っての歳三の一言に、宗次郎は高く結われた髪を揺らしながら首を振った。
「ううん。僕、もうすぐ歳三さんみたいに大きくなるから!そしたら、自分で上から見るんです」

妙な意地を張ったような物言いに小さく溜め息をつきながら、歳三は宗次郎の隣にしゃがみこんだ。
柔らかい髪を撫でて苦笑しながら、莫迦にしていると…そう言われても仕方の無い様な言葉を返す。

「お前の身長じゃ、あとどれ位かかるか分からないだろ」
宗次郎は隣の歳三から視線を外さぬまま、少し眩しそうに目を細める。
妙に大人びた笑みだ…歳三がそう思った時には、いつもの屈託の無い笑顔が浮かべられていた。

「分かるよ。いつも見てるから!」



―その時、漸く気付いた。
宗次郎が真っ直ぐに空を見上げられるのは、いつも自分たちを見上げているから。
そんな事が出来るのは、純粋な眼差しで目の前にあるものを見定めて、受け入れようとしているからだ。

『子供だから気になるのだろう』などという、陳腐な言葉で片付けられるようなものではない…
宗次郎は、歳三よりも真っ直ぐに現実に目を向け、先を見据えているのだろう。



「…お前は、ひまわりみたいな奴だな」
「?」
歳三は、不思議そうな表情の宗次郎をぽんぽんと叩いた。








木陰に寝転がった歳三の隣に、いそいそと横になる宗次郎。
流石に疲れたらしく、すぐに寝入ったその少年の頭を優しく撫でてやると、気持ち良さそうに頬が少し上がった。

自分は、この小さな向日葵を導く太陽になろう。
真っ直ぐに伸び、大輪を咲かせるその時まで導いてやれる存在になろう…―歳三は、そう心に決めた。
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向日葵と背比べをしてる宗次郎の図が頭に浮かんで、書き始めたのですが…背比べしてないよ!(こーん)
まぁ、2人の日常ってコトで!あるお嬢さんのお誕生日祝いに押し付けましたv笑(2006.7.18upload)