胡蝶の名残



 *土方の話です。総司が亡くなるネタが絡みますので、平気な方のみスクロール↓


























遼遠なる地で、お前を思った。





最後に会った時、共に行けぬ自分の代わりに持って行ってくれ、と渡された。
もう会えぬと、共に生きる気がないと言っている様に聞こえたから俺は激怒したが、
珍しくお前も床から身を起こして憤激するものだから、仕方無しに受け取った
―――お前の短刀。

預かってから肌身離さず携帯しているそれを、硝子張りの窓を開き、月明かりに見た。
窓の外にあるのは、美しい星空と朗々たる月、そして冷たい風ばかりだ。

季節は春から夏へと移ろっているというのに、雪が消えたばかりのこの北の地の夜はまだ少し寒い。
冷たすぎる空気もまたお前の肺には良くないのだろうが、
空気だけはひどく綺麗なこの地でお前を静養させられたらどんなに良かっただろう、などと、
らしくもなくどうしようもない事を、近頃は度々思う。

血の匂いと噴煙にまみれた空気で苦しくなかった筈は無いのに、
あの純粋な心の持ち主が人を傷つけて殺めて、悩まなかった筈は無いのに。
いつも笑顔を絶やさず、黙々と俺の命令に従った総司。

後ろを顧みない俺の唯一の後悔は、それだ。
誰よりも大切に思っていた人物の手を汚し、心に傷を負わせて、
更にはその命を誰よりも荒く扱って限りを縮めさせてしまった。

・・・この短刀は俺に罪を忘れるなと語り掛ける様で、それが心地よかった。



ふと何かの気配を感じ、手にしていた短刀を半ばまで抜きながら
視線を眼前の大きな窓に移すと、寒空に美しい黒い蝶が舞っていた。
窓枠を額にでも見立てているのだろうか、自分の視界に納まるように飛んでいる様な気がする。
少し蒼い様にも見えるその蝶は、軌跡にほのかな光の粒子を残している。

俺は一息ついて、短刀を鞘に納めた。
この北の地で蝶を見るなど、珍しいのではないだろうか。

「こんな高い場所まで、よく飛んできたものだな…」
思わず呟くと、蝶はそれまでより少しばかり高い所を舞ってみせる。
まるで、俺の言葉を理解して、もっと高く飛べるのだと誇示するかのように。

遠い空に控える半円形の月の前を黒い影となって優雅に舞い、
また時には、月の周囲に光を散りばめている様にも見えるその蝶。
俺はしばらくその姿に見入っていた―と言うよりむしろ、何故か視線が外せなかったのだが。

ひとしきり舞った蝶はやがて、俺が手にした総司の短刀に翅(はね)を休めた。
―野生の蝶にしては少し、人慣れしすぎていないだろうか。
蝶を飼う者も、蝶が人になつくなどという話も聞いたことがないのだが、
その妙な蝶には言葉が通じるような気がして、思わず俺は声をかけた。

「大事な預かりものなんだ。どいてくれないか」
その言葉に一旦は脚を離すが、やはりまた柄の辺りに舞い降りる。
それを幾度か繰り替えすうちに、毎度脚をつくのは短刀の目貫の部分だと言うことに気付いた。

・・・何かを伝えようとしているのだろうか。
既にその蝶から視線も意識も外せない俺は、示されるままに目釘を外した。

「―――!」
現れた刀身を目にした俺は、言葉を失った。
普通の刀ならば、その銘が打ってある筈の場所。
そこには、薄く汚い文字が刻まれていた。


『動カネバ ヤミニヘダツヤ 花ト水』


「動かねば 闇にへだつや 花と水・・・・・・」
俺は、刻まれてた文字をゆっくりと復唱してみる。
全く聞き覚えの無い句なのだが、その一つ一つの言の葉からすぐに、ある事に思い至った。

俺はかつて、総司を「水鏡」と例えた句を贈った。
会心の出来栄えだと思ったその句は、発句集の中でも特別な場所に書き留めておいたし、
自分の句を自ら公表することは無い俺も、それだけは総司に伝えた。

総司は俺の発句集を盗み見するのが趣味の様で、他の句に関してはことある度にからかってきたと言うのに、
その句には何も言ってこないから、てっきり忘れられたのだと思っていた。

だが、実際には忘れてなどおらず、こんな返句を用意していたということか。
しかも、本人が常に所持していたものに刻んで。
更には渡された方も、肌身離さず持ち歩くであろうという事を見越して。
「遅ェよ、ばかやろう・・・」

・・・この句は恐らく、病に罹ってから作られたのだろう。
思うように動けぬ自分には価値も存在意義もないと思って苦しむ総司の心を感じた。
だから・・・それが全て思い違いであることを、はっきりと伝えなければ。

「本当に、肝心な事は言わねェんだからよ・・・・・・」
俺は呟きながら、軽やかに舞う蝶に視線を移した。
この蝶は総司なのだろう。
俺はもう、そう信じて疑わない。

「どこにいるか、どんな状態にあるかなんて関係ねェ。
 お前と過ごしたかけがえの無い時があったから・・・お前がいるから、俺は前だけを見て進めるんだ。
 俺たちの魂は、常に共にあると決まってんだよ。俺から離れるなんて許さねぇから、いい加減に諦めろよ」

俺が言いながら手を差し伸べると蝶は指先へと止まり、俺の方を見ていたのだが、
しばらくすると翅を広げ、再び窓の向こうの闇に身を埋めて消えてしまった。

軌跡に残された微かな光。
その残滓に、あいつの涙を見た気がした。





お前の死を知ったのは、それから一ヵ月後。
もたらされた情報によれば、最期の日は俺があの蝶とまみえた日であったという―――

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これは、お題の完結編にあたるお話です。前からネタが思い浮かんでいたので、短刀は一応お題本編で伏線として出しました。
最期を迎えた時に沖田さんが、それまで抱えていた悩み・苦しみから解放されていたことを願って・・・
沖田さんが亡くなった時、土方さんは会津で戦っていたハズですが、函館にいた事にして下さい…!これを思いついた時には既に
函館設定になっていて、変えられませんでした。あと、旧暦・新暦とか考えないで下さい!お願いします。苦笑  (2005.12.13up)