「おはようございまーす。いますかー?」

建て付けの悪い引き戸は、ノックに合わせてガラス窓を揺さぶった。

静まり返った廊下に響くその音に応じる声が無いということは、
主が不在であるか、まだ夢の中であるに違いない。

軽く手をかけ施錠されていないことを確認すると、そっと室内に身を滑り込ませた。
無論、在室で起きていた場合に怒られないよう、小さく声を掛けてから。





奥にある開きっ放しの扉を抜けると、やはりいつもの場所に目的の人物はいた。
机で腕を枕に眠りについている。

―また机で寝ちゃったんだ。眼鏡もしたまま、パソコンも開きっぱなしで…―


「副長、あまり無理しないで下さいよ…」

疲れていることが分かるだけにどうしたものかと溜め息を付いたが、
デスクの上にあるカレンダーを目にして、誰にとも無く頷いた。




「おはようございます!先生、起きてください。出掛けますよー」

「ん……」

「せーんせっ!朝ですよー!起きてくださーい!」
大声で呼びかけながら揺さぶると、漸く切れ長の目を縁取る睫が揺れた。






きせき














「…こんな時間にどうしたんだ?」

欠伸を噛み殺しながら顔を上げた俺に、彼―総司は少し頬を膨らませ、
デスクの上のカレンダーを俺に突きつけた。

「もう朝ですよ!10時待ち合わせって、ずっと前からカレンダーにも手帳にも書いておいたのに!」



突きつけられたカレンダーは、5日だけ数字が黄色のマーカーで星型に塗られ、
その下に『10:00 自宅集合』と書かれている。
そういえば、先日パラパラと捲った用途を果たさぬ手帳も、カラフルな部分があった気が…する。


「…悪い、すっかり忘れてた。明日にしないか?」
珍しく素直に謝ってみた俺に対して、これまた珍しく総司が噛み付いてきた。

「駄目です!今日こそは。僕はちゃんと10時に土方さんの家に行ったんですからね。
 いくらインターホン押しても返事がないし、電話も繋がらないし…ここに来てみたら寝てるなんて…」

言いながら口を尖らせていく総司が可愛くてうっかり口元が緩みそうになるが、
そんなことがバレたら余計にへそを曲げてしまうだろうから、少し俯いた振りをして誤魔化す。


「ちょうど、今後の講義で使えそうな話題が海外であってな。状況を追っていたら日付が変わっちまったんだ。
 ……悪かった。シャワーを浴びてくるから、少し待っててくれ」

総司がアヒル口のまま頷くのを見るとその頭をぽんぽんと叩き、俺は急いでシャワールームに向かった。















「なっ、お前っ……」

準備を終えて外にでた途端に絶句した俺を尻目に、総司は得意気に口角を上げて微笑んだ。
そして、傍らにある車のボンネットを優しく撫ぜる。

「驚いてくれましたか?今日はこの愛車で、僕が土方さんをエスコートします!」


見るからにコンパクトなその車は確かに総司にお似合いだ。
だが、いつの間に車なぞ手に入れたのだろうか。


そもそも俺の車を使えばいい話だろう、と視線を下げると…

「…愛車って、『わ』ナンバーじゃねぇか…」
「突っ込みどころはそこじゃないでしょっ…!もう、いいから早く乗って下さい!」

真っ赤になった総司は助手席のドアを開けると反対側に回り、自身は運転席に乗り込む。
思わず吹き出した俺も一先ずは勧められるまま、助手席に身を落ち着かせた。






シートベルトを付けながら運転席を見遣ると、
既にここまで運転してきたであろう総司は改めてミラーや椅子・ハンドルのチェックをしていた。
行き先は着いてのお楽しみだそうで、備え付けのナビは渋滞情報のみを示している。

「お前、いつの間に免許なんて取ったんだ?」

「2月から教習所に通い始めてたんです。ほら、土方さんが助教授になるって決まって、忙しくなった頃…」


そう。この大学のとある教授が今年1月に体調を崩し、急遽、職を退くことになったのだ。
たまたま同じ学問を専門としていた俺は、常勤講師から繰上げで助教授になる事が出来たのだが、
異例の抜擢であった為それなりの準備が必要となり、総司とも殆ど会えぬ日々が続いてしまった。

後期試験の時期と重なった2月は、電話のやりとりは多少は出来ていたものの、
上の空だったり、互いのプライベートに関わるような会話はしていなかったように思う。
また、今日の様に約束をすっぽかしてしまうこともあった。


「そう、だったのか……すまない」
「いいんです。助教授になるなんて素晴らしい話だし、大変なのも分かってますから」
そう口にしながらも、俯いて頬にかかった髪のすき間から覗く目は、少し暗い。


「でも、今日は予約してたんですから、付き合ってもらいますよ」

最後にアクセルとブレーキを指差してチェックした総司は、俺に笑みを向けた。
その最終チェックに一抹の不安を覚えたが、俺も分かったと言って頷いた。














「…ここに来たかったのか?」

「はい。どうしても、今日、あなたと来たかったんです」

俺達は、日野宿本陣と呼ばれている建物を前にしていた。
正直なところ、俺は歴史的な建物に対して一切の興味がない。

いや、興味が無いというよりも、何故か分からないが
歴史というものに対して異常に感情が昂ることがある為に苦手意識がある。
それは怒りだったり、脱力してしまう程の悲しみだったり、様々だ。





ここにたどり着いてから目を細めたままの総司に手を引かれ、
俺達は昔ながらの家屋の中を時間を掛けて見てまわる。

「ずっと、ずーっと昔、ここに来たことがあるんです」

ふいに、総司が口を開いた。


「…親御さんにでも連れて来てもらったのか?」
「んー、似たようなものですね。凄くお世話になっていた人に連れて来てもらったんです」
「そうか」


「その時、ちょっと変わった人に出会ったんですよ。初対面の僕に『今日は何の日か知ってるか?』って声を掛けてきて」
「…クリスマスだったとか?」
「いいえ……」

話しながら総司はかつての表玄関だったという板張りの場所に腰を下ろす。
そして、かばんの中から何かを取り出した。

その何か、は柏餅の入ったパックだ。
それを目にして俺は漸く、今日が何の日なのか、どうして総司が意固地になっていたのか思い至った。



今日、5月5日は俺の―



「僕が『知ってます。端午の節句ですよね?』と言ったら、その人はこう答えました。
 『馬鹿野郎、俺の誕生日だ!覚えておけ!』ってね。初対面なのに」


クスクス笑う総司を見ていた俺は、また何か不思議な感覚に捕らわれていた。

俺は知らないはずなのに、何故かその場面を目にしていたかのような…
軽く眩暈を覚えた俺を、総司はいつも以上に真っ直ぐと俺を見つめてくる。


「あなたは私が出会ったその方に、よく似てます。
 甘いものが苦手だって公言しているくせに、本当はあんこがお好きというところとか。
 遠慮なさらずに、好きなだけ食べて下さい。ケーキの代わりです」」




そう言われた時、柏餅を持ってきたちびっこに言い返した言葉を思い出した。
相手が誰だったのか、それがいつのことなのか分からないが…

俺は柏餅を一つ受け取ると、記憶にある言葉をなぞった。


「仕方ないから貰ってやるよ。今度はちゃんと、あんこを抜いてこいよ」






その言葉に総司は大輪が咲いたような笑みを浮かべ、俺に抱きついた。

記憶にあるちびっこが総司と関係あるのか分からない。
総司の記憶に存在する男が俺なのかも分からない。

だが、俺の答えは正解だったことを総司の頬を伝う雫が証明していた。




「土方さん、お誕生日おめでとうございます。 僕とめぐり合ってくれて、ありがとう…」



転生して巡り合った2人のお話でしたー。総司だけ記憶を取り戻していて、土方さんはもやもやしてるけどちゃんと思い出せずにいるという設定です。んー、纏まらん!
タイトルは彼らの軌跡を頼りに思い出していけるといいなーという意味と、巡り合った奇跡という意味、両方を込めてみました。
今回はちょっと抜けた土方さんになっちゃいましたが、たまにはいいかな…><  何はともあれ、Happy Birthday土方さん☆(2011.5.5up)