カラン カラン… 重苦しい木の扉を片手で押し開けた彼は、静かにいつもの定位置に腰を下ろす。 薄手のコートを脱ぐ彼と視線が合い、僕は軽く頷いてシェイカーを手にした。 カウンターの右から二番目の席に座る、彼のオーダーは決まっている。 「いらっしゃいませ。いつもの、です」 微笑んで差し出したカクテルグラスの先、 彼――土方さんも口元を綻ばせた。 Lover's Delight 僕が勤めているのは、六本木のとあるビルの最上階に位置するバー。 場所柄、以前までは所謂セレブのお客が大半であったのだが、 もっと多くの人にこの夜景と極上のお酒を楽しんでもらいたいというオーナーの意向で 最近になって、リーズナブルな料金設定の品も用意するようになった。 狙い通り、東京の夜景を独り占めしたような気分を味わえるという謳い文句であっという間に客層を広げ、 かつて静かな時間を提供していたバーは、今では毎夜賑やかな様相を見せている。 だが、マナーの悪い客が増えたというのも否定できない事実であり、 新たにVIPルームを設けることでセレブ層の客離れをどうにか食い止めているという状況だ。 前述の新規客層に絡まれるのは何故か大抵僕だ。 カクテルの計量をしていたところ、今日も酔っ払ったカップルがカウンターに倒れ込んできた。 「沖田くーん、今日は何時までお仕事なの?終わったら遊ぼうよ〜」 この間、酔っ払ったおじさんの話に付き合っていたらマネージャーに怒られたから、 今日はすぱっと断らなければ…と僕は軽く深呼吸をして、口を開く。 「申し訳ありません、お客様。本日は―――」 「それいいな!シェイカー振ってる沖田君もいいけどさ、和服で日本酒とか注いで欲しいよなー!」 「あ、絶対似合うっ!沖田くん、一緒に遊びに行こー?ねー?」 「…あ……あの、」 ひと息で告げて終わりにしようと考えていたのだが、言葉を被せられては元も子もない。 繕った固さも拍子抜けした所為で一気に解れてしまった。 「ええと…申し訳ないのですが、お約束する訳には――わっ??」 言い訳を試みるものの、今度は酔っ払った女性に突然手首を掴まれ引き寄せられ、 カウンターに思い切り腰をぶつける格好になった。 腹の下のビンとグラスが心配になるが、彼女はそれに全く気付かぬ様で口を尖らせる。 「私、知ってるんだからね。沖田くんいつも木曜日はお休みでしょー?」 「お、じゃあいいだろ。休みの前に一晩くらい付き合って酒飲んでくれたってさー」 若干ストーカーちっくなことを口にする女性から逃れる術を求めて他の店員を探すものの、 みな忙しなく動き回っている様で視線が合わない。 「あの、お客様、手を離していただけませんか?」 「嫌よぉ〜。このまま連れて帰るんだから!」 こちらの話を聞き入れるどころか、いい具合にお酒が回っているらしく、 とろんとした目の女性がカウンターの向こうから更に腕を引く。 彼女の連れに助けを求められないかと一縷の望みで視線を遣ると、そちらは何故か機嫌悪そうに目が据わっていた。 困ったな、と危機感の薄い僕でさえ何となく寒気を覚えた時、カウンター席の逆サイドから声が掛かった。 「おい、オーダーを」 若干ドスが効いているように思えたのは気のせいだろうか。 僕はこれ幸いにと 「はい、只今伺います」 と応じ、丁寧に彼女の手をほどいた。 「お待たせしました。何にしましょう?」 布巾で手を拭きながら土方さんに声を掛けると、眉間に幾筋も皺が寄っている。 僕が笑顔で『ありがとうございます』と口元で表してみせると、 ちょっと不貞腐れたような表情で彼は舌打ちをして、カウンターの反対側を睨んだ。 彼がこのお店に通うようになって随分経つから、僕に怒っている訳ではないことはお見通しだ。 「…サーモンのマリネとお薦めがあれば、それを」 「はい、ありがとうございます」 僕は奥のキッチンにオーダーを伝えると、再び土方さんの前に戻る。 シェイカーに材料を注ぎ込みながら、彼に話し掛けた。 「土方さん、お久し振りですよね」 「…あぁ。でかい商談があってな、時間が取れなかった」 元々多忙なのだろう、頻度が高い時でも頻繁と呼べる程ではないのだが、 ここ2〜3ヶ月は顔を見ていなかったような気がする。 少し疲れた様に見えたのも、思い違いという訳ではなさそうだ。 「じゃあ、お仕事も相変わらず順調なんですね」 そう言うと、彼は少し表情を緩めた。 いつも厳しい彼が不意に緊張を解くような、この表情が堪らなく好きで うっかりシェイカーを振る手を止めてしまいそうになる。 「そうだな。まぁ、漸く軌道に乗ったと言うべきか」 「なるほど。今日もお仕事だったんでしょう?」 「ああ」 僕は出来上がったカクテルをグラスに注ぎ込み、それを彼の前にコトンと置いた。 「はい、どうぞ。祝日までお仕事お疲れ様です」 「…頼んでいないぞ」 彼は毎回、一番最初には『いつもの』一杯を口にして、二杯目以降は都度異なるものを飲む。 今日はまだちょうど一杯目を終えたところで二杯目のオーダーはもらっていないのだが、 もし5月5日にお店に来てくれたら、このカクテルを贈ろうと密かに決めていたのだ。 「今日、お誕生日ですよね?僕からのサービスです」 自分の誕生日だということを忘れていたらしい彼は一瞬視線を宙にやったが、 恥ずかしそうに「ありがとう」と言ってカクテルグラスを口元に運んだ。 が、中身を口にした彼は、すぐに吐き出しそうな勢いでグラスを離してテーブルを叩く。 「おいっ、これ、アルコール入ってるじゃねぇか!!」 「はい。お口に合いませんか?」 「そういう問題じゃないだろ!くそっ…車で来てんだぞ!?」 僕が笑顔ではぐらかすと、土方さんは鉾先を無くして舌打ちをした。 彼が車で来ていることは誤算だったけれど、いつもノンアルコールカクテルで 自分を律している彼のこと、誕生日くらいはハメを外して欲しかったのだ。 「お誕生日くらい、酔いつぶれてもいいんじゃないですか?」 「馬鹿言えっ!明日は休みだってのに…車取りに来るしかねぇか…」 「…じゃあ、お詫びに僕が代行運転して送りますから。飲んで下さい。ね?」 僕も明日はお休みですから、と付け足した時キッチンからお呼びが掛かった。 背を向けた僕の耳に、満更でもなさそうな彼の舌打ちとため息が届いた。 |
2010年土方さん175回目のお誕生日祝いということで、沖田さんに積極的になってもらいました☆ 土方さんの「いつもの」一杯がノンアルコールっていう設定が楽しかった〜♪ 弱い癖に格好つけたがるっていうね…見えっ張り! タイトルのLover's Delightはカクテルの名前で、誕生祝いにあげたのもコレ。彼は名前なんぞ知る由もないでしょうが、据膳はちゃっかり頂いてる筈です。笑 ここのところずっと話が纏められず…今回も途中で進行方向見失ったし、中途半端な終わり方になっちゃいました。精進せねば…><(2010.5.5upload) |