あぁ、もう本当にいい加減にしろと。














それは灯火の如く

















横目でちらりとそれを確認した途端、己が思ったのはただそれだけ。
苛々と目の前に立ち塞がる敵を一刀の元に切り伏せる。

普段は冷静で寡黙な男だと言われている。
自分でもそう思っているし、世の中に剣術以上に心動かす物もない。

それなのに、ただ一人、どうあっても心掻き乱す人がいる。









「先生!」


カチリと刀を収め、駆け寄ってくる配下の隊士に視線を向ける。

「無事全員捕縛致しました!」
「・・・怪我人は」
「かすり傷を負った者が二名おります」

二名で済んだなら上々だろう。

「わかった。皆を集めてくれ」
「はい!」


走っていく背を見つめ、さてどうしようかと思案する。















「行くのは一番隊、それから三番隊だ」

低い声でそう命じられたのは、昼のこと。

監察方が得た情報は、直に副長の耳に入る。
その副長から各組長に命が下るわけだから、非常に迅速な行動が取れる。
その点よく考えられた指揮系統だと常々感じるものだ。
それもこれも、あの切れ者が考え出したことなのだが。

本日監察が掴んだのは、不逞浪士の会合の報。

「しくじりは許されねぇ。ぬかるな」

身内の前ではあの人はぞんざいな口調で話す。
信を置かれているのだと思えば、嬉しいことで。

隊の中でも精鋭と言われる二隊が出動したのは、日暮れのこと。
命は会合における主要人物の確保。

ただ阻止するだけならば、どの隊でも問題はない。
しかし殺さず捕らえるというのは、存外に難しい。
それ故の一番隊・三番隊の出動であった。








その精鋭・三番隊を率いる組長斉藤一は、隊士の集まる方へと足を向けた。
後は配下の者に任せても、さして問題はあるまい。

人の集まる中央で談笑しているその人の細腕を、斉藤は無造作に掴んだ。


「おい、副長には明朝報告すると伝えてくれ。俺たちはこれから少々用がある」
「え、斉藤先生!?」
「後は任せる。・・・行くぞ」

ぐいぐいとその人を引っ張って去っていく組長の背を、隊士たちは半ば呆気に取られて見送った。












「用って何なんです?」

邪気ない顔でそう言う人を、斉藤はじろりと睨み付けた。


ここはさきほどの場所からさして遠くない場所にある宿屋である。
屯所に戻るもよかったが、あそこからだと少し距離がある。
だから斉藤は、屯所ではなくこちらを選んだ。




目の前に座る細身の者は、名を沖田総司という。
新撰組が誇る精鋭中の精鋭、一番隊を率いる組長を任されている。

こうして座っているだけならば、とてもそうは見えないが。




「もしかして、今日はここに泊まるのですか?」
「・・・・・何か問題があるか」
「ないですけど・・・あ、もしかして一さんお疲れだとか?」

何でそうなると、思わず怒鳴らなかっただけ俺はえらかった。

「・・・あんたな、気付いていないとでも思ったか?」
「え?」
「どんなに顔に出さないようにしてもな、剣は正直だ」

彼がぴたりと動きを止めた。

「・・・いつからだ?」
「・・別に、何でもありません」
「何でもないわけはないだろう、そんな・・・」
「別に!一さんには関係ない!」

額に伸ばそうとした手を払いのけられて、かちんと来た。
案じられるのを嫌う彼が、頑なにそれを拒むのは常のことだと知りながら。

本当に、ここまで己の心を掻き乱すのは、この者だけだ。



「関係なくはないだろう!?」


細い肩を掴んでそう怒鳴る。
彼はぴくっと身を震わせて、大きな瞳を見開いた。









敵と対峙していたあの時に、斉藤の目に映ったのは鮮やかに刀を振るう一番隊組長の姿。
けれど常日頃から竹刀を合わせている斉藤には、否斉藤だからこそ気付いた。
彼の振りが鈍いということに。

それに気付いた時、最初に感じたのは怒りだったのだと思う。

どうして言わないのだという、行き場のない憤り。












俯いてしまった主に、斉藤は深くため息をついた。

「・・・・すまん」

驚いて顔を上げた彼の頬は、ほんのりと赤く染まっている。

「・・熱があるのだろう?とにかく、休め」

ぶっきら棒にそう告げて、斉藤は彼に背を向けた。
見つめていれば素直には従わないだろうことを、知っていたから。

案の定、消えそうなほど小さな声で彼は呟いた。

「・・・ごめんなさい・・」

それだけで許してしまいそうになる己は、彼に甘いのだろうか。















「で、いつから熱があったんだ」


大人しく床に入った総司の傍に座り、じろりと軽く睨んでみせた。
布団から顔半分を出した総司は、視線をうろうろと動かしてぼそぼそと答える。

「熱は・・なかったんです。ただちょっと・・ちょっとだけ頭が痛いかなぁって・・」
「なぜ言わなかった」
「だって・・・大事な仕事だと思ったから・・・私が出ないわけにはいかないでしょう・・?」

確かに彼が出ると出ないでは、大きな差はあるが。

「・・・怪我をしたら、どうするつもりだった」

ため息と共に吐き出された問いに、床の中の身が申し訳なさそうに視線を落とした。

「すみません・・・体調が悪くても刀を振るえると、驕っていたのやもしれません・・・」

長い睫が面に影を落とす。


病は気を弱くする。
普段そんな弱々しいことは言わない彼が、珍しくも自己嫌悪に陥っているらしい。
これ以上攻めるのは得策ではない。

斉藤は、こつんと軽く、総司の額を小突いた。

「反省したならいい。仕事は上手くいったのだ、それでよしとしろ」


抑揚のない、けれど確かな温かさを持つ言葉に、総司はそっと微笑んだ。












「だが、副長は怒るだろうな」
「え?」

報告を部下に任せ、隊長二人は外泊許可を求めている。
その原因が総司の体調不良と知れば、黙ってはいまい。

「あんたがなんとかしてくれよ?」
「えぇ?ひどいなぁ、一緒に怒られましょうよ」
「断る」

二人は顔を見合わせて、小さく笑った。






















斉藤は、寝ずの番をしていた。

総司は床の中ですやすやと安らかな寝息をたてている。
熱はさして上がらず、すでに大分引いたらしい。

よかったと、安堵すると同時に、別の思いが顔を出す。




斉藤が身じろぎしても、彼は目を覚まさない。
いつもなら、衣擦れの音一つにも敏感な人なのだが。


「そこまで信用されてもな・・・」


自分がいるから大丈夫だと、自分なら大丈夫だと。
そう思われているのだと、思えばやはり嬉しいだろう。
だが同時に思う。
そんなに信用するなよと。


「一応・・俺も男なのだがな・・・」


眠る顔に目を向けた。

閉じられた瞼の向こうには、キラキラと輝く黒の瞳がある。
いつもその大きな目を細めて、綺麗な笑顔で彼は己の名を呼ぶ。
その時心に灯る火を、何と呼べばいいのか、自分は知らない。


行儀良く閉じられた、紅い唇に指を当てた。
当てたまま、動かすことが出来ない。

視線も動きも、全てを奪われるかのように。






「・・・・・さ・・・」

微かに動いた唇に、ハッと我に帰り手を引く。
今、何と言ったのだろうか。


そうしている間に、ぴくりと長い睫が震え、ゆっくりと総司が瞼を開く。
頭がぼんやりとしているのか、見慣れぬ天井に不思議そうな顔をし、斉藤の顔を見てようやく事態を把握したらしい。
申し訳なさそうに笑った。

「すみません・・・寝てしまいました・・・」
「いや。気分はどうだ」
「大分よいです・・ありがとうございます」

無防備に見せられる笑みに、どうしてだか胸が痛い。





「何か飲むか?」

こくんと総司が頷いたのを確認して、斉藤は傍の湯飲みに手を伸ばした。

頭の後ろに手を滑り込ませ、その身を起こさせる。
そのまま首の後ろを固定してやり、白い喉が液体を嚥下するのを見届けた。
そうしてまたゆっくりとその身を床に横たえる。

一連をされるがままになっていた総司が、眩しそうに目を瞬かせた。


「・・・何だ?」
「いいえ。ただ、一さんは優しいなぁっと」
「馬鹿。同室の者が手がかかる故、自然とこうなっただけだ」

総司はくすくすと笑った。

「もし・・もしですよ?私が寒くて凍えていたら、一さんはどうしますか?」
「は?」

相変わらず突拍子のないことを聞く奴だ。

「どうと言われても・・・」

総司は笑ったままで続けた。

「一さんはね、きっとこうするんです。自分の着物を脱いで着せてくれる」

斉藤は苦笑した。

「では副長なら?」
「え、土方さんですか?」

うーん、と総司は天井を睨んだ。
そうして悪戯っぽく笑う。

「土方さんなら、俺が暖めてやるって言うかな」
「・・・惚気か?」

言いそうだが。
そう斉藤が言うと、それはもう可笑しそうに総司は笑った。



「土方さんは、例えるなら焚き火の火です」

夜闇の中でも勢い良く燃え上がる。
冷たく見える人だけど、その内に抱えた火は、誰より熱く、そして強い。

「誰しもが、思わず近寄ってしまうような。でも近づきすぎると、時々火の粉が飛んでくる」

くすりと総司は笑った。


寒い時は、傍に寄れずにはいられない。
気がつけばその周りには人が集まり、身を暖める。
それでも一つ間違えば大火傷を負う、そんな焚き火の炎。

「でも火傷をしても、それでも近づかずにはいられないような、そんな火です」

氷と言われる鬼副長を、火だと例える人間が一体幾人いるだろうか。
しかし、彼の身のうちの炎を、僅かながらも知っている斉藤は思う。
それこそが彼の本質ではないかと。

時に獣を追い払い。
時に人を暖め。
空を焼き、天を焼き、どこまでも昇る炎。


何を隠そう、己とて、それに魅せられ引き込まれたのだから。






「だけど一さんは、違う」

視線を、床の中の人に戻した。

「一さんは、行灯の火」

思わず笑った。

「行灯?」
「そう。行灯の火。仄かの灯る、優しい灯」

暗闇の中にあって、しかしそれを壊すことなく灯る火。
闇に溶け込み、それでいて人の手元を優しく照らす灯。

「一さんの優しさは、ぽっと灯るような優しさ」

あんまりにも仄かだから、なかなか気付かないけれど。
気付けば何より優しい灯だと。
それは月明かりに似て。


「吐息一つで消えてしまうほどに弱いけれど、でも意外と強いんですよね」

長く強く、保ち続ける灯。


太陽のように強くはあらず。
月のように艶やかにあらず。


狭間にあるが如き、優しき光。


「私、好きです」


そう笑う笑顔こそが、心に灯る火だというのに。



「・・・そうか」

なんと言えばいいのかわからずに、ただそう答えた。

こちらを窺う瞳に苦笑して、布団を引き上げてやる。

いいからもう一眠りしろだなんて、照れ隠しに他ならない。


「知っていますか?」

とろとろと、瞼が落ちていく。

「一さんはね、笑うととても・・優しい顔に・・なる・・・・」

だから、もっと笑えばいいのに。

そのままぱたりと眠ってしまった総司は、その時の斉藤の顔を見ていない。



































朝、いつにも増して無表情な斉藤に、総司は首を傾げた。
もしや一晩中看病させたことで気を悪くさせたのか、と思いきやそうではないらしい。
彼が怒っていないということは、見ればわかる。

ならば何故か。
すっかり熱の下がった総司は、昨夜しゃべったことをあまり覚えていないようなのだ。



並んで歩くうちも、斉藤は口をあまりきかない。
いつも、それを全く気にしない総司が一方的にしゃべるわけで、今朝も同じくであった。




「戻ったら、一番に副長室へ行かないといけませんね」

きっと大目玉だと、無邪気に笑う総司の声に、斉藤は肩を竦めて首を振った。

「いや、その必要はないらしい」
「え?」

斉藤の視線を追ったその瞳が、数度瞬いた。





朝靄の中、佇むその人影。
不機嫌そうに眉を顰めて、両腕を組んでじっと立っている。
その立ち姿はまるで役者のよう。


「・・・一さん、一緒に怒られて下さいね」
「それは御免だ。ほら、行って来い」

ぽんとその背を軽く押すと、軽やかに彼は駆け出した。
その背に朝日が差し込む。






眩しそうに目の上に手を翳し、そして思った。










あぁ、お前は生まれ出ずる日の光。










月ちゃんのお宅より、残暑見舞い小説をお嫁にいただいてきました。笑
もっと仄かな背景を探してたんですけどねー…イメージ通りの写真が見つからず(>_<)
口下手で、でも通すところはしっかり通す斎藤さん。報われなさが彼の最大のポイントですよね。笑(酷)
相変わらず、月ちゃんらしくて素敵な雰囲気のお話、ご馳走様でしたーvv