未だ悲しみ眠る 紅沈む水底 カラカラに乾いた喉が、ひりひりと痛む。 首に繋がれた鉄は、冷たくて。 「み・・・ず・・・」 搾り出した声は、乾いて音にならなかった。 「総司」 うっすらと瞳を開けると、心配そうに覗き込んでくる瞳が見えた。 「陛下・・・」 身を起こそうとした総司を、歳三は肩を抑えて止めた。 「寝ていろ。・・・お前が倒れたと聞いて、肝が冷えたぞ」 「すみ・・ま・・せ・・・」 「謝るな」 暫く寒い日が続いたと思えば、じとじとと雨の降る日々がやってきた。 蒸し暑いその気候に、働きづめだった身は堪えられなかったらしい。 今朝方書簡に目を通しているうちに、眩暈に襲われ、そのまま総司は倒れてしまったのだ。 最初は頭痛だけだったものが、今ではじりじりと熱が上がってきた。 「すまん、無理をさせた」 「そんな・・・」 自分の健康管理がなっていなかったのに、この人は自分のせいだとすまなそうな顔をする。 そんな顔を、させたいわけじゃない。 「私こそ・・すみません、この忙しい時に・・・」 そっと瞳を伏せた宰相の前髪を、歳三は優しくかき上げた。 「馬鹿。そんなこと気にするな。それよりも、ゆっくり休んで早く治せ」 「・・・・はい・・・」 優しく髪を梳かれる感触に、そっと目を閉じる。 病気になると人の心は弱くなるという。 ずっとこうして傍にいてほしいと、思う心とは裏腹な言葉を唇は紡ぐ。 「陛下・・・私は大丈夫です・・・だから・・・」 だから。 その後は口にはしない。 だから仕事に戻ってくれと。 そう言わないのは、それを本当に望んでいるわけではないから。 それでも宰相として、総司は歳三に皇帝であることを望む。 全く、病の時ぐらい、素直に甘えればいいものを。 歳三は小さく笑って、ぽんと総司の頭を撫でた。 「・・・・わかった。また、来る」 総司は安心したように微笑んで、小さく頷いた。 去り際に、熱い頬をそっと撫でて、歳三は踵を返した。 扉の前に立っていた一が、皇帝のために扉を開く。 「一、頼んだぞ」 「承知しております」 一礼した護衛隊長に頷いて、歳三は室を後にした。 触れられると、ただでさえ熱いそこがさらに熱を持つ。 優しく撫でられた頬を、そっと指でなぞった。 ないと気にもならないが、あったものがなくなると途端に不安になってしまう。 「駄目だなぁ・・・・」 もっと強くならなくては。 せめて、もう少しだけでも。 高い熱に、頭が朦朧としてきた。 しとしとと、雨の音が静かな室に響く。 嫌だな。 この季節は、嫌いだ。 雨がぴちょんぴちょんと落ちる音は、あの音に似ているから。 ぴちょんぴちょんと。 落ちる血の音。 ギっと音を立て、鉄格子が開かれる。 ぼんやりとした瞳は、入って来た男を映すものの、まるで光はない。 じめじめとしたこの季節、ここはとても蒸した。 嫌だと。 初めて奉仕を強いてきた男にそう言った。 男は激怒して、その日から食事はおろか、水も与えられなくなった。 国一番の権力を持つその男は、やせ細った少年を見ても顔色一つ変えなかった。 やつれた様は、さらに美しいと、笑みさえ浮かべる。 死ぬんだと思った。 このまま自分は干からびて死ぬんだと。 ひどい環境に、昨夜から高熱を発していた。 だからこのまま死ぬと、そう思っていた。 けれど、この男は決して自分を死なさないと、それもわかっていた。 死なさない程度に苦しめて、自分に縋り付くのを待っているのだ。 「熱いな」 男は、少年の顎を持ち上げて笑った。 からからに乾いた喉は、息をするたびにひどく痛む。 「水が欲しいか」 意地なんてとうに吹き込んだ。 未だ幼い少年は、必死で首を縦に振った。 ずきずきと頭は痛かったが、とにかくこの渇きを潤して欲しくて。 与えられたのは、桶一杯の冷水だった。 男は笑いながら、それを少年の頭から浴びせる。 熱を発した身体は、今度は急激な寒さに、ガタガタと震えた。 「そら、飲め」 ざばざばと、上から水をかけられる。 カチカチと歯が鳴った。 ぼろぼろの衣が、水を吸い肌に張り付く。 寒い、冷たい。 それでも必死で両手で水を掬って、飲んだ。 ハハハと笑う男の声を聞きながら。 その日、高熱を発する幼い少年の身体を、男の欲望が貫いた。 「・・・司・・・総司!」 軽く頬を張られ、はっと総司は目を開いた。 見れば、一が心配そうな顔で立っている。 「はじめ・・・・?どうしたの・・顔が、青い・・」 「お前が、ひどく魘されていたから・・・脅かさないでくれ・・・」 ふぅっと深く息を付いて、一は傍の卓子から水を持ってきた。 「ひどい汗だ。水飲むか?」 差し出された水を、総司はじっと眺めた。 今はもう、与えられるのは喉を潤す水。 あれは過去。 「総司?」 眉を顰める一に、軽く首を振って笑った。 今はもう、あの男はいない。 まだ希望を失う前のこと。 まだきっと誰かが助けに来てくれると、きっとここから出れると、信じていた頃。 どんなに殴られても、何を見せられても、必死で堪えた。 まだ涙を流すことができた。 それを失った、あの日も雨だった。 「逃げてください!」 鉄格子にしがみ付いて、叫んだ人。 助けに来てくれたと、少年は必死で手を伸ばした。 それでも、戒める鎖がそれを阻む。 「早く!逃げるんです!」 「・・・どこにだ?」 静かな声が、その場に響いた。 立っていたのは、鬼の形相をした男。 「・・・・げて・・・逃げてっ!」 悲鳴のような声で少年は叫んだ。 お願い、にげて。 血しぶきが、上がった。 助けに来てくれた、その人の悲鳴が木霊する。 あの男は、その人を簡単には死なせなかった。 少年の瞳を開かせて、見ろと笑いながら。 お前は絶対にここから出られないのだと。 これがお前を助けようとした男の末路だと。 その日、小さな希望は粉々に砕かれた。 そっと、閉じた瞳から涙が流れた。 枕元の椅子に腰掛けていた歳三は、それを見とめ眉を顰めた。 そっと涙を拭うと、その手に擦り寄るように顔を近付けてくる。 そう遠い昔のことではない。 あの牢獄から助け出されても、総司の心は凍てついたままだった。 冷たい目で、冷ややかな言葉を吐いた。 その度に、自分の心も痛めながら。 その氷が解け始めたのは、ある出来事があってからだ。 あの時から、少しずつ総司は歳三に心を開いてくれた。 よく眩暈に襲われて、あいつは床に伏すことが多かった。 その度に歳三は枕元に座って、細い手を握った。 あいつはその手をそっと握って、それを自分の頬に当て、そしてホッと息を吐いた。 そうしないと、眠ることさえできなくて。 柔らかな頬を、涙が伝って、白い敷布に吸い込まれるのを何度見ただろうか。 ぽつりぽつりと、震える声で彼は話してくれた。 自分が何をされてきたか、どんな目にあってきたか、何を思い、過ごしていたのか。 小さな唇が過去を語るたびに、歳三の手を握り締める細指が小さく震える。 その手を優しく摩りながら、子供のように見上げてくる瞳に微笑んでやった。 しかし内心では激しい怒りの炎が燃え上がり。 それは愛しい者に対してではなく、己の父に対してだ。 父。 それは、歳三がこの世で一番憎んでいる存在。 国を傾け、民を虐げ、そしてこの愛しい者を苦しめた。 この細い身に、どれだけの苦痛を与えたのか。 この純粋な心に、どれだけの刃を刺し続けたのか。 その目で、どれだけこの身を汚し続けたのか。 「ん・・・・」 ゆっくりと開かれた瞳。 傍らに座っている男を見とめ、総司は柔らかく微笑んだ。 いつの間にか握り締めていた彼の手が暖かい。 ぴちゃん・・ぴちょん・・・・ 雨粒が、落ちて音を奏でる。 この音は嫌だ。 この音を聞いていると、必ず嫌な夢を見るから。 ふるっと小さく身体が震えた。 温かい手を、精一杯引っ張って、告げた。 お願い。 「あたためて・・・」 雨音も、何もかも聞こえなくなる。 ただ熱い吐息だけが耳を犯し。 欲しい時にだけ、その熱を与えてくれる人。 そうでなければ、いつも我慢してくれているのを知っている。 だからこそ、求めた時に与えられる熱は、激しく、この身を食らい尽くすかのようで。 「あ・・・・」 貫かれた衝撃で、細腰が浮く。 ただただ熱にのまれ、脳は考えることを放棄した。 「へい・・・か・・」 逞しい腕にきゅっと抱かれる。 閉じ込められた腕の檻の中で、ひたすらに突き上げられる。 強く貪欲に。 頭がくらくらとした。 熱のせいかもしれない。 幸せすぎるせいかもしれない。 「・・・・いで・・・」 はなさないで。 声は掠れて音にならなかったけれど、男の耳には届いたらしい。 ふっと笑んだ顔が、間近に見えた。 本当に、なんて綺麗な顔なのだろう。 とろんと見つめていると、小さく唇を啄ばまれて。 悲しみは過去になった。 けれど決して消え去ることのない記憶。 心が広い海だとしたら、あの日浴びた紅は、深い深い底に沈められている。 それは時折ずくずくと痛み、じわじわと水を赤く染めようとする。 海が全て赤に覆われたら、きっともう息もできなくなるのだろう。 それでも、紅は血の色だけではなくなったから。 あの日差し出された、優しい愛の証。 だからもう、紅を見ても怖くない。 「総司?」 細い腕が、歳三に向かって伸ばされる。 腕は歳三の首に絡まって、次の瞬間、組み敷いていた身体がふわりと浮いた。 唇に柔らかい熱を感じ、次いで現れた美しい瞳は、幸せそうに細められる。 可愛らしい口付けに一つ笑って、艶やかな髪に手を入れ、その顔を引き寄せた。 強く深く、どこまでも奪い取るかのように。 どうやったって、時を戻すことはできない。 受けた傷が決して消え去ることのないように。 それでも、人は生きていくことが出来る。 消えることはないと知りながらも、それでも。 それでもいつかその傷が消え去ることを、願うのは罪だろうか。 君が苦しむなら、その手を握ろう。 眠れないのなら抱きしめよう。 そして、いつかいつか君の心が、澄み渡る青に戻れることを・・・ 祈っているから。 終 |
月ちゃんの連載小説『傾国』のお話で、「過去・エロあり」をキーワードにお願い致しました。笑 『傾国』は本にして欲しい位に本気で大好きなシリーズなので、リクはすぐ決まりました◎(*^-^*) 今回のお話も素敵すぎますー!いつも通り、2人の関係がすごくじれったいですが、総司の過去と様々な思いや、 その全てを受け止めて総司の幸せを願う歳三さんの優しさ…2人の想いが切なくて愛しくて堪りません…! 今回もツボ突かれまくり…えへへ、本当にありがとうございました!また踏みたいですvv笑 |