守るべきものが出来たんだ



仕事に忙殺される俺の部屋を訪れては邪魔をしていたあいつは、いつの間にかそれを日課としなくなった。
急に、という訳ではなく、徐々に頻度が減ってきたのだが、その切っ掛けは御陵衛士との戦いの時だったように思う。
その折、総司は待機という俺の命令に背いて出陣しようとしたが、やはり体調が悪く昏倒したのだと山崎は言っていた。

―だが、それは虚言であると俺は思う。

廊下に残された侵入者の残骸は、全て一撃で葬られていた。
そんな芸当ができるのは、行方知れずの斉藤か総司ぐらいであり、斬り口の様子からも総司の癖が見て取れた。
悔しい事に俺の疑念を裏付けたのは、狭い廊下に広がるどす黒い血の中に点々としていた、鮮やかな赤。
そして、昏々と眠りつづける青く白く澄んだ、あいつの顔だった。

戦いの後、生存者の確認など一通りの指示を出して総司の元に駆け寄ったところから、自分の行動を覚えていない。
俺は怒りに任せて、転がっていた敵の骸をひたすら斬り続けていたらしいのだが、
覚えているのは、あの時の気持ちだけだ。
―もう瞳を開く事など無いのでは、というあの恐怖。
なぜあいつなのかという絶望、そして何より、気付いてやれなかった自らへの激しい憤り。

翌晩になって目覚めた総司は微笑んでみせたが、やはり衰弱は到底隠しきれるものでは無かった。
しばらくはあいつの体調ばかり気にしていて、気持ちを気遣ってやることができなかったのだが、
見舞う度に俺や隊の心配をするあいつの態度から、漸く不安や心の痛みを悟ったのだった。
あの日の総司の思いを考える度、俺は己の愚かしさを呪った。

あいつは止まらぬ咳に苦しみながら、吐き出す血に蝕まれゆく身体を自覚させられながら、
それでも自分以外の者を案じ、守るために刀を振るったのだろう…

―暗澹たる思いは未だに、少しも褪せる事無く心の中央を陣取っている。





伏見に屯所を移してからまだ日が浅いが、移転後、総司には全く会っていなかった。
今日は近藤さんと決定したある判断を告げるため、あいつの部屋へ出向くことにしたのだが、
部屋へ近づくと断続的な咳が聞こえてきた。
総司は他者に病の様子を悟られる事をひどく嫌うため、背中をさすってやりたいという気持ちを押し殺し、
その咳が収まるのを待って、障子に手を掛けた。

「あ、土方さん!」
障子を開けると直ぐに朗らかな声が聞こえてきて、俺は安堵したのだが、それは束の間の事で。
「暇そうだな」
言葉を掛けながら部屋の主へと視線を移せば、布団の上で起こされた肩は衣越しにも骨っぽく見受けられた。
浮かべられた表情とは対照的に、顔色も悪い。

「お前、また咳してただろ」
「…夢ですよ、あなたの。子供みたいに、いつでも夢見るんですかぁ?」
しかも歩きながら、と総司はふざけながら微笑む。
子供だから夢を見る、とは一体どういう理屈だろう。
俺は苦笑を浮かべながら後ろ手に障子を閉め、布団の脇に腰を下ろした。

改めて総司の顔を良く見てみると、細い身体の中で唯一ふっくらしていた頬も、すっきりしてしまった様だ。
「お前、痩せたなぁ…」
「誰かさんの事で、いっぱい心配してるからですかねぇ」
「馬鹿。それはこっちの台詞だ」
言いながらあいつの右頬を撫でてやると、気持ち良さそうに瞼を下ろす。
…顔色は確かに悪くなってきていると言うのに、美しさが増した様に思うのは気のせいだろうか。

「昔みたいに少食に戻っちまったって聞いたぞ?またガキの頃みたいに、宗次郎って呼んでやろーか」
近頃は、滋養の付く食材や消化しやすい健康食を作って食べさせているのだが、
どうやらその大半を口にしないらしく、食事を運んだ者は必ず困り果てた表情で報告に訪れるのだ。

「あなたはいつだって『ソージ』でしょ」
「そうだったか?」
さりげなく他愛も無い話に流し、終始笑顔で受け答えをする総司だが、それがかえって痛々しい。
食欲に関してもそれ以上強く言ってしまえば、否が応でも病の話になってしまうのだろうと思うと、
それ以上言葉を紡ぐことができなかった。

すると、黙り込んだ俺に珍しく総司が話を振る。
「で、今日は何を?お忙しいのでしょう?来てくれるのは嬉しいですけど、私は大丈夫ですから―」
「お前はしばらく屯所を離れろ」
「…え?」
それまで細めていた目元を引き締め、総司は驚いた様子で俺を見たが、
その瞳には既に用件を察していたかの様な悟りの色が窺える。
既に一月近く床に伏したままの状態であるにも関わらず、一向に養生の成果が現れないのは、
この屯所の空気の悪さや慌しさも一因かもしれない。
近藤さんはそう考え、どこか他の場所で療養させるのが良いだろうと持ち掛けて来たのだ。

総司は視線を布団に落とし、しばらく黙り込んだ。
美しい髪がさらさらと零れ、その表情を隠す。
「私は、もうあなたを守ることができないのですか」
ともすれば秋風に消されてしまいそうな小さな声は、一切の感情を欠いた響きを俺の耳に伝えた。

言葉とは、なんと残酷な物なのだろう。
決して自惚れではなく、俺と総司は言葉など交わさなくても思考が通じているはずだ。
それなのに、本心ではない言の葉を紡ぎ、お互いに心を痛めなければならないなど、馬鹿げている。
「…俺がお前を守りてェんだ」

―お互いがお互いを守りたいと思っていることなど、とうに分かっている。

「もう戦力外ということですか?」
「そう…なるか。隣に居ると、守らなきゃならねぇから、気が気じゃねェんだ」

―隣に居て、その存在を感じていることが、一番安心できるのに。

「……」
「…もう、必要ありませんか?」
「……ああ」

―この世でたった一人、必要とする存在なのに。

それまで俺に真摯な表情を向けていた総司は、ふいに顔を背けた。
「私が病だから」
「総司ッ…!」
目と口元に薄い笑みを浮かべながら、そう呟く様に言ったあいつの視線は定まっているのかいないのか、判断しかねる。
あいつの虚ろな横顔と自嘲する様な冷たく物悲しげな声に、俺は思わず声を荒げるが、言葉が続かない。

先に言葉を紡ぎだしたのは、総司だった。
「私は、あなたが『絶対武士になる』と仰った時に…あなたが私に『強くなれ』と仰った時に、
 以後共にあり、お守りしていこうと決めました」
「…」

それは、遠い日にかけた言葉。
誰からも必要とされぬと涙する9つの宗次郎に、自分の夢を語り、強くなれば俺がお前を必要としてやると告げた。
その時は選択肢を与えただけで強制するつもりは無かったのだが、
正直に白状すれば、自分の野望の為に宗次郎の才能は必要になると思ってはいた。
俺の夢を聞いた宗次郎はその小さな胸に純粋な決意を秘め、翌日から剣の道をこころざし始めた。

今となってはそれは、俺の一番最初の、且つ最大の後悔だ。
宗次郎は元々優れた才能を持っており、下働きとしてでも道場に出入りしていたのだから、
時が経って心の傷が癒え始めれば、自分が「強くなれ」などと言わずとも自然に竹刀や木刀を手にしていっただろう。
そして試衛館一派の浪士組参加の際に江戸に残り、試衛館5代目を襲名して平穏無事に暮らしていたはずだ。
才気豊かな少年を利用し、人斬りと呼ばれる様な状況に引きずり込み、果ては病にかかった身を扱き使ってきた―――
俺の命を差し出したとしても、その代償には程遠い。

「病に朽ち果てると分かっているこの身、戦場にて守っていただく必要なんてありません。
 だから、だから…隣に居させて下さい」
「…だめだ」
「土方さん!」

それが総司の切なる願いと分かってはいても、俺はそれを承服する訳にはいかなかった。
「俺だって、お前がいないなんて想像もできねェし、辛い」
総司は哀しそうに眉根を下げて、俺の顔を覗いている。
ならばなぜ、とその瞳が語りかけていた。

「だが、今まで俺の夢に付き合ってくれたお前には、出来うる限り好きな事をして欲しい。
 穏やかな所で、思う通りに過ごして欲しいんだ」
もう既に本心なのか、それとも戦線から遠ざけるために言っているのか、自分でさえも分からなくなってきた。
総司を気遣う気持ちと、手放したくない気持ちが心の中で矛盾し続ける。

そんな俺の心中を知ってか知らずか、総司は抑揚の欠けた言葉を口早に連ねた。
怒っている様にも聞こえたが、その横顔からは何も感じられない。
「私の居たい場所なんて、ここしかありません」
「…京菓子いっぱい食いたいとか、江戸の饅頭も食いたいとか、良く言ってただろ」

苦し紛れの俺の台詞に総司は小さく溜め息をついて、いつもの明るい口調で答えながら、俺に向き直った。
「まぁ、それもいいですけどねー」
浮かべられているのは、お得意の無理をした笑み。
その理由を痛いほどに分かっているため、二の句が継げなくなる。

「土方さん。私が本当に守りたいのは、あなたとあなたの志と―――あなたと私を繋ぐ場所である、新選組です。
 養生することで私もそのどれかを守れるのだとしたら、命令に従います」
これまで散々付き合ってきたが、まさか総司が新選組に
そんな思いを抱いているとは思いもしなかった俺は、驚きに目を見開いた。
新選組を自分の物と思っている俺以外にも、新選組を守りたいと思っていてくれる人物がいたことが、単純に嬉しくて。

これは恐らく、どれほど養生を勧められても拒んでいる己が俺を困らせている事に苦しみを感じ始め、
何とかして自分を納得させるために吐いた言葉なのだろう。
こんな場面でずっと抱いてきた本心を吐露させてしまった事に、途方も無い悔いを覚えた。

「馬鹿野郎…!」
俺は総司の体調を労わることも忘れ、その身体を強く抱き寄せた。
黙って抱かれている身体の薄さに現実を思い知らされながら、自分自身に言い聞かせる様に呟いた。

「新選組の一番隊はお前にしか任せられねェし、俺の志を遂げるには、お前の存在が不可欠だ…
 早く病を治して、戻ってこい」
腕の中、総司は何度も頷きながらしばらく黙ったままでいたが、やがて掠れた声を出した。
「それまで、あなたは前だけ見ていて下さいね。私が追いついたら、振り返って」
「ああ…」

これまでは自分が作ったから守ろうと躍起になっていた新選組―
これからは大切な人の思いを守るため、その命の糧を守るため、己の命ある限り存続させていくことを誓った。

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文章がまとまり無くてすみません…!書きたいコトは大体書けたと思うのですが、全体の流れがスムーズにいきませんでした。悔
時期的には、総司が襲われて近藤さんが銃弾を受けるちょっと前のつもりです。本当は、伏見に向かう途中で狙われたんですよね…?
あまり調べられなかったので、その辺りは目をつぶっていただけると幸いです!苦笑
(2005.11.19up)