信じてる



「―そういうコトで、今宵は島原で祝宴を行う。
 判っているとは思うが、折角の局長のご厚意。全員参加するように!」

胸を張り、怒鳴る様に隊士を集めた広間で声を響かせたのは、谷三十郎であった。
末弟を近藤の養子に仕立て上げた今でも相変わらず、近藤を讃える言葉を所々に交える事を忘れない。

土方はまだ取り入る気か、と苛立って愚痴を零していたが、
沖田にはそれはもはや口癖になっているのではないかと思われた。





「祝宴かぁ…」
暖かな陽光に包まれた縁側に腰掛け、時折吹く寒々しい風に季節の移り変わりを感じながら、沖田は呟いた。
目つきの悪さからある人物に似せた名を冠す豚は、今は膝上で気持ち良さ気に寝息をたてている。

今回は、江戸で新たに募集した隊士と伊東甲子太郎一派の参入を祝っての宴だと聞いている。
宴で、はしゃぐ周囲を眺めるのは好きである。
しかし自分がそれ程酒が嗜めないため、それ自体を楽しみとは感じ得ないのだ。
一番隊を率いる自分が宴に参加しなければ、新入りの隊士達に申し訳無いだけでなく、
伊東一派への拒否と取られかねない。そうすれば、近藤や土方にも迷惑を掛けてしまうだろう。
そう思うと、微妙な体調を圧してでも参加しない訳にはいかなかった。

「おぅ、どうしたー?総司」
溜め息を繰り返していた為か、今まで誰も声をかけてはこなかったのだが、
永倉が陽気な声を投げ掛けながらこちらへ向かってきた。
羽織を脱ぐところを見ると、巡察帰りだろうか。

「見回りですか?お疲れ様です」
「あぁ。…顔色はいいみたいだけど、浮かねぇ顔してんな」
「そうですか?ぼーっとしてたから、変な顔になってたのかも」
一昨日から伏せっていた事を気遣う永倉にいつもの笑顔を向け、会話を流す。
永倉も深入りしようとはせずに、そうか、と呟いた。
「ならいいけど。ぼーっとしてて、そんな場所で寝ないよーに気を付けなヨ」
「あはは、大丈夫ですって」
こうした、何気ないやりとりが、自分の体調を忘れさせてくれる。

「ところで、平助と左之は?」
「あ、鉄君連れてどこか行ったみたいですよ」
「何だぁ?まーた子犬君いじって遊んでんのか」
笑み混じりに溜め息をつくと、沖田の隣に腰を下ろす。

膝上の豚を見ると、その脚の付け根辺りを軽くつまんだり放したりして遊び始めた。
ぷにぷにと動く振動が心地好いのか悪いのか、眉間に皺を寄せて呻きながらも、
やはり壮快な鼾をかきながら眠り続ける。
不機嫌そうなその様から連想されるのは、唯一人。

2人は顔を見合わせ一瞬の後、吹き出した。
「まさか、中々起きない所まで似てるなんて…!」
「な、永倉さん!笑わせないで下さいよッ!!」
爆笑する2人を余所に、サイゾーは快眠を続けていた。

ひとしきり笑い終えると、永倉はサイゾーの背を撫で、
時には逆撫でしながら穏やかな笑みを湛える沖田を覗き込んだ。
「…?どうかしましたか?」
「本当に調子良さそうだな。宴には出るんだろ?」
「ええ。めでたい席ですからね」
微笑みながら応えるものの、宴の言葉に一瞬瞳をうろつかせたのを見逃さなかった。

「…あの人は泊まらないと思うけど」
「え?」
「そんなに心配しなくていいと思うヨ?」
「…私は別に、どなたがお泊りになっても構いませんよ?」
何を仰るんですか、と言い返す沖田の声は渇いていた。
永倉は内心でやはり、と思いながらも、それ以上言及するのを止めた。

「んじゃまぁ、俺は巡察の報告に行ってくっから。総司、また後でな」
「はーい。行ってらっしゃーい」
右手を軽く上げて永倉を見送ると、沖田は空を仰ぎ、大きな溜め息と共に肩を下ろす。
何時の間にか目を覚ましたサイゾーは、同じ頃合いで思い切り伸びをした。

―――島原の宴が楽しみで無い理由は、本当は言われるまでもなく判っている。
客として迎えられる自分たちに酒を注いで、他愛も無い会話を楽しむだけとは分かっていても
自分は、女達が土方の隣に腰を落ち着かせるのが嫌なのだ。
綺麗に手入れをしたその手が土方の袖に添えられる、それが嫌だ。
土方は廓には泊まらないだろうと分かってはいるのだが、
煌びやかな着物を纏った若い舞妓や芸子が甘く囁けば気が変わるかもしれない。
そうして自分には無い、柔かく美しい体を土方が抱くかと思うと、心穏やかではいられない。

お互いの思いは揺るぎないと理解してはいるものの、やはり傍らに女性があれば羨んでしまう。
わずかとは言え、芽生えてしまった嫉妬心。
己の弱い心を叱咤するものの、やはりそれを拭う事はできなかった。

「心から弱っていくのかな…私は」

風音に消されそうな程、小さく落された沖田の悲痛な言の葉は、サイゾーの耳に吸い込まれた。





その夜、島原では予定通り祝宴が催されていた。
大広間を貸し切っての宴ではあるが、幹部達と平隊士の席は簡素な間仕切りで隔てられていた。
もっとも、酔っぱらった原田が退かしてしまったため、既に境界など無い。

それを幸いに、沖田は宴の最初に近藤・山南・土方・伊東にとりあえず程度に酌をしただけで、
辰之助の所まで行き、周囲の隊士といろいろな話に花を咲かせていた。
土方の隣に女性が座ると思うと居たたまれずに逃げたものの、どうしても意識は上座のあの男に向かってしまう。
何度か一瞥してみたが、土方はこちらには全く興味を示さぬ様子で、
更には傍らの伊東にさえ構わずに近藤と談笑している。大方、江戸の様子を語らっているのだろう。

(いっぱい飲んで酔えたら、少しは気が紛れるのになぁ…)
土方から飲むなと言いつけられ、密かに通う医者からも酒は禁じられているため、
今日も乾杯の一口を口にしてからは控えている。
素面のせいで確たる意識を恨めしく思った。

丁度そんな折、酔った原田と乗せる藤堂、突っ込みつつも宥める永倉が沖田を見付けて寄ってきた。
「お、何だぁ?話し込んでんな!」
「あれ、総司全然飲んでないじゃん」
「いや、ザルの辰ちゃんに付き合ったらキリが無いって…」
思い思いの台詞を気遣いもなく口走ると、2人の向かいに腰を落ち着かせる。
少し脚を崩しただけの沖田と、正座してその長身を縮こまらせている辰之助の正面に3人が座ると、
向かい合うと言うよりは囲まれる様な状態になった。

「あ、あああの節は大変申し訳なくッ面目次第も―」
「残念ながら、今日は飲めないんですよー。誰かさんが煩いもので」
大粒の涙を滝の様に流しながら手を付いて、いつしかの謝罪をひたすら口早に述べ続ける辰之助。
沖田は笑みを浮かべて、本人が聞けば怒鳴りつけられそうな台詞を言ってのけた。

「えー?ここならちょっと位飲んでも、土方さん気付かないんじゃない?」
「一杯位なら平気だろ。ちょっと飲んどけよ!」
「左之、声でかいよ」
「はぅッ!!」
原田と藤堂は冗談なのか本気なのか分からない様子で沖田に酒を勧め、
永倉は平謝りの辰之助のフォローをし始めた。
困ったな、と眉根を下げ、原田達の隙間から土方を見るが、やはりこちらには一瞥もくれずに、
隣に端座した可愛らしい妓から酒を注がれている。

「…こんな時くらい、飲んでもいいかな」
土方の様子を見て取ると、胸の奥がざわついた。
あの男は、自分が酒でも飲めばまた理不尽な仕置きを言いつけるのだろうが、
それでも自分の元に繋ぎ止められるかもしれないと思うと、心のどこかで期待してしまう。

「お!いいじゃんか!たまには飲んどけよ!」
呟いた一言に、やはり大仰に原田が応じた。
土方にも聞こえてしまったかもしれないが、2人の陰になっている自分の姿は恐らく捉えられないだろう。

持たされたお猪口から零れそうな酒をしばし見つめると、まず少しだけ舐めるように口にする。
それほど濃くなく、辛さも程よい。これならば、気持ちよく酔えるかもしれない。
そう思い、2口目で残りを一気に喉奥に流し込んだ。

「いいねぇ!気持ちいい飲みっぷり!」
「もう一杯いくかぁ!?」
「いえ、もう結構です。ご馳走様でした…」
一気に飲んだその様子に原田と藤堂は気をよくして重ね重ね勧めてくるが、丁重に断りを入れる。
代わりに原田の枡に何度か酒を注いでやると、すっかり酒が回った様で、いつもの腹芸を隊士に見せて回り始めた。

「はぁー。もういい加減にしなヨ。そればっかじゃん…」
永倉は辰之助の隣でぼやくと、やはり2人の面倒を見るために立ち上がった。
「あはは、永倉さんは苦労が絶えませんね」
「平和な感じで、好きですけどね」
辰之助の言葉に一瞬笑いを消した沖田であったが、彼らしい言葉だな、と思うと愛おしげに目を細めた。

「そうですね…ずっとこんな風にいられたらいいですけど」
辰之助は大きく息を吸い込み、心底申し訳なさそうな顔で沖田を振り返った。
また何か謝罪の意を述べようとするのだろう、と感じ、慌てて先に腰を上げる。
「それじゃあ、そろそろ私は帰ろうかな。辰之助さんも楽しんで下さいね」
「ええ…」

気のない返事をした辰之助をその場に残し、割り当てられた自らの席に戻ると、既に伊東一派の姿は無かった。
伊東が宴席に残ったままでは、自分が帰る訳にはいかないと悩んでいたため、
内心で助かったと思いながら、隣の土方に告げる。

「副長、私もそろそろ席を外させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
声を掛けられた土方がこちらを向くと、その逞しい体の向こう側から芸子もひょこっと顔を覗かせた。
思わず顔を強張らせてしまい、表情を緩めようとするも今度は引きつった笑みになってしまった。
大きな瞳に小さくて柔らかそうな唇。可愛らしい雰囲気だが、それでいて艶がある。
(土方さんは、こういう人が好みなのかな…)

土方はその複雑な表情を見て取ると、沖田の思考まで一気に悟った。
「ああ。屯所に戻るのだろう?」
「はい、勝手を言って申し訳ありません」
「山南さんも店を出たから、問題ない。俺も帰るから、店の前で少し待ってろ」
言いながら立ち上がる土方に、思わず驚いた表情を隠そうともせずに顔を上げると、柔らかい笑みを返された。
喉は焼けるように痛むのだが全く酔っていない頭で、いつもこんな表情を浮かべていればいいのになぁ、と思う。

「そんなぁ、土方センセ。折角来はったんやさかい、も少しゆっくりしなはってはいかがどすか?」
本心なのか分かりかねる言葉を投げかけられるが、それには悪いな、とだけ呟いて、近藤の元へ行く。
既にべろべろに酔った近藤はご機嫌なので、大した言い訳も無く退出できるだろう。
沖田は土方に言われた通り、先に店の外に出ることにした。





店外に出て程なく、土方が羽織に袖を通しながら現れた。
「待たせたな」
「いいえ」
言葉は短いが、それだけで十分お互いの労いの気持ちが伝わりあう。
微笑みを交わして、既に人の寝静まった街路をゆっくりと歩き始めた。

「今夜は近藤さん、嬉しそうでしたねー」
「そうだな」
「伊東さんともお話なさったんですか?」
「…まあな…」
とにかく女の事を思い出さない様にしようと、必死に言葉を綴るのだが、土方の返答は素っ気ない。
ことに伊東の話題になった時は、心なしか青ざめている様に思えた。

「洒落た方ですよねー。伊東さんとはあまり気が合いませんか?」
気が合ってたまるかよ…
ややげんなりして呟いた声は、沖田の耳には届かない。
「え?」と問い直すと、大仰に溜め息をつかれた。

「そんな事より、お前…酒飲んでただろ」
「ええ。乾杯の一杯くらいは許して下さいよ。祝いの席なんだし」
言いながら、弾んだ足取りで土方より前に出る。表情から見透かされてはたまらないための行為だ。
ごく自然に振舞ったつもりであるが、男の目にどう映っただろうか。思案しながら反応を待つ。

「いや、その後だ。俺の方こそこそ見ながら、隠れてたな」
「えーと。いつの事でしょう…」
後ろからその背を見ている土方には、肩にやたらと力が入っている事がはっきりと判るうえ、声が小さくなっている。
そんな、嘘をつく事が極端に苦手な自分の恋人を愛しく思うと、裏腹に苛めたくもなる。

土方は2人の間にあった距離を一気に縮めると、その腰に腕を絡め、その耳朶を甘噛みしながら囁く。
「原田達を処罰しなきゃなんねーな」
「や、だめ…!わ…私が、飲ませてもらったんですから…!」
外で抱きしめられる羞恥と、与えられる心地よさで思考の安定を欠いている沖田の勝手な告白に、土方は口を歪ませる。

「へぇ…?原田たちに頼んで酒をもらったのか。知らなかった。俺は他の件の話をしたんだがな?」
「あ…!」
「なら、約束を破ったお前を処罰する必要があるなぁ」
意地悪くそう述べると、土方は沖田を留めていた腕を解く。
沖田は振り返り少し潤んだ瞳で睨みつけるが、ふと、疑問が浮かんだ様できょとんとした顔をした。

「でも、土方さんは私の方見てませんでしたよね?」
「馬鹿。おまえが席を離れてからもずっと見てたさ。気が気じゃなかった…
 しかしまぁ、お前は俺との約束よりもあいつらとの付き合いを取った訳か」

土方からの思わぬ言葉に頬をほのかに染めていた沖田だが、その後の台詞の冷たさに再び表情をきつくする。
「違います!あれは、土方さんを見ていられなかったから飲んだ訳で…」
「はぁ?…ああ、女に酌をしてもらってたのが気に食わなかったのか」
勘の鋭い土方は、口ごもった彼の真意を容易く読み取り、
己の汚い感情をあっさりと見破られた沖田は、恥ずかしさのあまり耳まで赤くして俯く。

「こんな事を思うなんて、自分が恥ずかしいです…」
「本当、だな」
「武士の癖に嫉妬なんかして…みっともない」
「…そうかもしれんな」
罪を懺悔するかの様に声を震わせながら、一つ一つの言葉を紡ぎ出した。
土方はその全ての言葉を受け止めるものの、慰めようとはしない。

誰にでも存在する独占欲を、あたかも禁忌の様に捉える恋人。
その遠慮がちな性格に愛しさを感じながらも、哀れに思う。
彼が己の感情を抑える様になってしまったのは育った境遇の所為であるが、
自分が彼に出会ってからも直してやれなかったことを今でも悔やむ時が多々ある。

だが、今はそれを利用してやろうというタチの悪い心が蠢いている。
抑制はできそうにない。

「少しであれ、俺があの女に惹かれると思ったんだろ?それは俺に対する裏切りでもあるしな」
「え!?そ、そんなつもりじゃ…」
弾かれた様に顔を上げる。
視線が捉えた端正な顔は、少し辛そうに歪められていた。

「俺を信じ切れなかったんだ、同じ事だろ」
「ごめんなさい、そんな気は無かったんです。ちょっと不安で、側にいられるのが羨ましくて…」
そこまで聞くと、突然いつもの様な高圧的な表情に戻り、口角が意地悪く上げられる。
変化を目の当たりにした沖田は、ようやく自分がからかわれて本音を言わされたのだと悟った。

「じゃあ、約束をやぶった罰と俺を信じてる証として、今夜は存分に楽しませてもらおうか」
「…いつでも信じてますよッ!」
どこまでも自分を翻弄する土方に対して頬を膨らませると、足早にずんずん進んで行く。
待てよ、と笑いを含んだ声を投げかけられ、それだけで嬉しくて幸せで口元が綻んだ。

本当は、仕置きと称して一晩中抱いていて欲しいから、悪戯心で酒を飲んだ沖田。
気付かれずに済んだと安堵しているが、土方はとうに気付いている。

ささやかな駆け引き。
独り相撲の獲物を前に、今宵も勝利は揺ぎ無い。

              ********************************************************************

…久々の更新なのに、突っ込みどころ満載です。あはは。涙
いやに長くなっちゃったくせに、土方・沖田の絡みが最後しか無くなってしまいました。
今回は新八を結構使ってみましたが、どうでしょう?私にしては周囲を描いてると思うんですが…
あ、新八・佐之助と辰兄がお酒を飲みに行った時期はこれより前ってことにして下さい!堪忍…!笑
書いてる途中に伊庭八郎に新八の役回りをさせたくなりました。伊庭さん出したいなー。
(2005.10.26)