光と隣り合わせの闇



母が亡くなった時の喪失感は、今もはっきりと覚えている。
大切なものを失うというのは初めてだったからだろうか…

幾晩も生前の母の夢を見続けて、目を覚ます度に家の中を駆けた。
『母はまだ生きているはず』と根拠の無い自信を抱き、既に主人のいなくなった部屋へと―





かつて毎夜見ていたその夢を見たのは、随分久し振りのことだった。
目が覚めた時には、総司が部屋の前にいて、そこが京であると思い出した。
夢の中で聞いた咳があまりに現実味を帯びていたから、近頃はよく耳にする様になった
総司の咳だったのでは、と思わず問い掛けたのだが、あいつは一瞬の躊躇の後に俺を笑い飛ばしてみせた。

その躊躇の示すところは…やはり、あいつも咳をしていたのだろう。
総司のする咳は、俺に言いようの無い不安を与える。
今日の巡察は休ませてやった方がよかったのかもしれない、
そんな迷いを抱えながら文机に向かっていると、いつしか再び眠りへと誘(いざな)われていた。





物心ついた頃には母の部屋の障子は堅く閉められていて、まみえる事は殆ど無かったのだが、
歳三が家にいる時は、大抵その部屋の近くで遊び、母の声を聴いて少しでも寂しさを拭おうとしていた。
それから、自分がこれだけ無事に、しっかり育っているのだと母に見てもらいたくて…

「歳三、大切なお話があります。こちらへ来て、よくお聞きなさい」
その日もまだ幼い歳三は、庭先で竹刀を振り回していたのだが、
ふいに母からの呼び掛けがあり、手にしていた竹刀をその場に放り投げた。

「なに?ここ、開けてもいい?」
「いいえ、なりません」
歳三は大喜びで部屋に近付くと、障子へと手を伸ばしたのだが、
返された、穏やかであるが有無を言わせぬ様子をした声に、弾かれた様に手を引いた。

「これから母が言う事を、忘れないように」
歳三は今日も母に会えぬ事を寂しく思いながら、不請不請に返事をする。
幼かった彼には、その声にいつにない重みがかかっていた事が分からなかった。

「歳三、いいですか?これから生きていく中で、あなたの『光』を探しなさい」
「光?」
突然母は何を言い出すのだろう、歳三は訝しげに首を傾げて問い返した。
「そうです。一生を賭す価値がある、何かを探しなさい」
「俺はお侍になる!」
その言葉に、歳三は自分でも分からぬが、何故か焦り苛立ってそう叫び返していた。

「そう…歳三は、お侍になって何を守るの?」
幾分和らいだが、やはり厳しい雰囲気を纏ったまま、彼女は歳三に問い返した。
「え?」
「武士は無闇に戦う訳ではありません。刀は、何かを守る為に抜くものです」
「何かを守る…」
がむしゃらに、ただただ武士になりたいと考えてた歳三にとって、
その問い掛けは思いも寄らぬものだった。
刀を差して守りたいもの…そんなものは今のところ、無い。

「歳三が守りたいと思う、何か…それがあなたの『光』ですよ。きっとあなたを導いてくれる」
「…じゃあ、母上の『光』は?」
「私の『光』は…分かるでしょう?近くにいて、守りたい人達ですよ」
それが誰のことか判じた歳三は、障子の向こうの母に笑い掛けたのだった。





―ふと目を開けると、文机の端で頬杖をついた総司の笑みが目の前にあった。
「お疲れの様で」
揶揄するでもなく、労る様にそう言うと、あいつは腕を直したのだが、
一体いつから見ていたのだろう、頬には手の跡が赤く残っている。

「何か、夢でも?」
「あぁ…」
俺はあくびをしながら答え、夢の事を思い起こした。
そんな話をしてから一月も経たぬうちに、母はこの世を去ってしまったのだが、
遺言の様なその言葉のことは、今まですっかり忘れてしまっていた。

俺は『光』を見つけられたのだろうか…
そう考えると、即座に思いついたのは1人だけだった。

俺はそいつの二の腕を掴むと、無理矢理抱き寄せた。
ごんッという鈍い音がして、俺の目の前を黒髪が踊る。
急に引き寄せられて体勢を崩し、俺の胸に倒れこむ形になった所為か、
俺を見上げる総司は些かに不満気だ。
無視してその顔を自分の胸にうずめさせると、総司にだけ聞こえる様に呟いた。

「お前は…ここにいる。これからも…」
「? ええ…でも、痛い思いさせないでくださいよ」
思わず腕を緩めると、総司は抱き寄せられた際に後を追った方の手を文机の角に打ったらしく、
青痣のできた手の甲を一瞥してから、俺を見た。
そんなに力を込めたつもりは無かったのだが、痛そうな痣にさすがに申し訳なくなる。
俺はその手を摘み取ると、傷にそっと口付けた。

「お前が、俺の光だ…」
その言葉に総司は首を傾げたが、すぐに総司なりの解釈で応えが返る。
「違いますよ!私は影ですよ。あなたと近藤さんという太陽を輝かせる為なら、何でもする、影です。
 あ、土方さんは太陽と言うよりは月かな?生まれつきの女たらしですもんね、夜の方がお似合いでしょう」
「ひでェ言い様だな…」
呟きながら総司の甲から顔に視線を移すと、そこには悪戯な笑みを浮かべた顔があった。





総司が自分に対して、同じ思いを抱いていてくれたことが嬉しかった。
その言葉だけで、俺の恐れる悪夢の再来は杞憂に終わるような…そんな気がしていた。

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お題から逸れました。ごめんなさい!うーん…土方さんにとっては 「病=闇」ぐらいに捉えていただけると幸いです。苦笑
歳さんは心配性なくせに、適当に理由つけて自分を納得させてそーな気がします。元ネタは、ピスメの『病』の土方転寝シーンより。
(2006.1.29up)